ロンドンツアー日記
その11 コッツウォルズツアー①バイブリー
その12 コッツウォルズツアー②バートン・オン・ザ・ウォーター
バートン・オン・ザ・ウォーターの次に訪れたのは、コッツウォルズ丘陵では高台に位置するストウ・オン・ザ・ウォルドStow-on-the-Wold。
お昼前の時間なので、人出はかなりありました。平日とはいえ金曜日だったので、通常の平日よりは人出があったかも。
コッツウォルズは有名な観光地なので、混雑を避けるには早い時間に訪れるのがベスト。ロンドンを早く出発したのは正解ですね。
主要道路も混雑します。田舎の道路なのに(!)長い車の列ができているのには驚きました。
ドライバーさんは何度もこのツアーをしていて慣れているので、できるだけ主要道路を避けてくれますが、どうしてもその道路を使わなければならない場合は、遠慮せずがんがん渋滞の列に入りこんでいくので、さすが!です(^-^;
やはり現地をわかっている人だからこそ、限られた時間内にたくさんの村を回れたんだな~と、ツアーに参加してよかったと思いました。

ストウ・オン・ザ・ウォルドも、バートン・オン・ザ・ウォーターと同じように、わりと大きな村でした。
3つの道が交差するので12世紀は、交通の要衝だったそうです。この地域で採れた上質な羊毛の集積地として発展しました。
検索しますと、現在はローカルフード(特にオーガニック)の集積地として、また、アンティークマーケットの拠点として知られているそうです。
アンティークショップには一軒、入りましたが、集合時刻が迫っていたので落ち着いて見れませんでした。
ここではドライバーが珍しく車から降りて、案内してくれました。
というのも、車の中でしきりに”ロード・オブ・ザ・リング”と言っており、教会に行くようにと言っていたのです。それ以上は聞き取れず(^-^;
ドライバーの先導で向かったのが、その教会「聖エドワード教会(St Edward's Church)」でした。
聖エドワード教会は、コッツウォルズの石でできたノルマン様式の教会。塔は15世紀のものですが、それ以外は11~14世紀にかけて建てられたというかなり古い教会です。
塔を増築するにはかなりのお金が必要だったそうですが、当時は羊毛取引によって村が潤っていたので可能だったようです。
ドライバーがこっちだよ、と奥へと促します。
そこにあった扉に、みんな、歓喜の声をあげました!

これです!
ああ!そうか!! この扉が『ロード・オブ・ザ・リング』に影響を与えたと話題の扉だったんです。
裏口のわりに立派なのは、北側に立つ建物(現在のストウ・ロッジ・ホテル)に住んでいた牧師が使うためのものだったからではないか。
とはいえ・・・
作者のトールキンは、本当にこの扉からインスピレーションを得たのでしょうか?
トールキンはオックスフォードに住み、兄はイブシャムに住んでいたので、兄弟を訪ねる途中に立ち寄った可能性は大いにある(実際に立ち寄った、と書いてあるサイトもあり)とのことですが、この扉がヒントになったという決定的証拠はないようです。

教会の裏手に出て、村をぐるっと回りました。
本当はもっと奥まで行きたかったのですが、集合時間が気になり、冒険はしないことにしました。


かわいいティールーム!!ああ、ここでクリームティーしたい・・・。でも時間ない・・・。

ここはイングランド内戦の最後の戦いとも関係がある建物だそうです。
1645年にチャールズ1世がイングランド内戦の前に立ち寄ったとか。
ホテルのHPを見ると、とっても素敵!泊まってみたいなぁ。
このストウ・オン・ザ・ウォルドでの戦いがイングランド内戦の勝敗を決めたとされ(それでイングランド内戦の最後の戦いといわれているんですね。でも戦いはその後も繰り返され、負けが決定的になったのは1651年のウスターの戦い)、最終的にチャールズ1世は降伏し、処刑されることになります。
イングランドは国王処刑後、共和制に(あのオリバー・クロムウェルがトップに立つ)。
チャールズ1世はスコットランド王ですが、イングランド王も兼ねてました(同君連合)。まだスコットランドとイングランドは連合していない時代です。
絶対王政をしいたチャールズ1世に反発して起こったのが清教徒革命(ざっくり)。
議会で話し合って国を動かそう!と、国王を処刑してまで共和制になったのに、結局はクロムウェルの独裁となってしまった。結局、王政が復古。
チャールズ1世の息子のチャールズ2世が王位につきます。
チャールズ2世はカトリックでしたが、プロテスタントの議会と決裂までは行かずなんとか乗り切って死去。
次に王位についたのは、弟でやはりカトリックのジェームズ2世。ジェームズは親カトリック政策を打ち出し、追放されます。これが名誉革命。(ざっくり)
ほとんど血を流さなくて済んだといわれますが実際は多くの血が流れました。
多くの血が流れた名誉革命についてはスコットランドも大いに関係しており、それはローズマリー・サトクリフの小説『はるかスコットランドの丘を越えて』(ほるぷ出版)を読むと大変よくわかるので、ぜひ読んでみてください♪
この時代に生きてたの?と思うくらい、サトクリフの描写がすばらしいです。この小説以外でも、サトクリフの歴史小説はどれもすごいんです。
17世紀どころか、もっと昔、ローマの支配下にあったグレートブリテンを舞台にした『第9軍団のワシ』は映画化もされました。
(当時のスコットランドの描かれ方が・・・(◎_◎;)まあ、あれが事実に近いのでしょうが・・・)

車がこんなにたくさん停められるだけの場所、昔はマーケットが開かれていたところだそうです。今は駐車場と化している・・・
せっかくの美しい歴史的建物の写真が、車で台無し・・・。どこの村も同じなのですが。
遠くに広い駐車場を設けられるところはそうなっていますが(先に訪れたバートン・オン・ザ・ウォーターはそうなってます)、ここは違うので、ほんと、車が邪魔( ̄▽ ̄;)

ポーチ付きの家、憧れます。ラティスにバラとかツタをからませたら・・・絵本の家だわ~~~。
ここだけは!
と、大急ぎで駆け込んだ「ハフキンス」
クリームティーやアフタヌーンティーができますが、もちろん私たちは時間がないのでできません(;O;)
ハフキンスは1890年、バーフォードで創業。
今ではコッツウォルズとロンドンに9つのお店があるそうです。私はまだどこのお店にも行ったことがなかったので、今回、短い時間でも行けて嬉しかったです。

エコバッグとオリジナルブレンド紅茶を購入。
ジュートなので丈夫です。イギリスの綿のエコバッグはぺらっぺらですぐにだめになりそうなくらいはかなげなので、綿製のものは買いません(^-^;
写真に写っている缶のビスケットは、次に行ったチッピング・カムデンで買ったもの。