2025年8月19日火曜日

ロンドンツアー日記その13 コッツウォルズツアー③ストウ・オン・ザ・ウォルド

  ロンドンツアー日記





その10 チェルシー・イン・ブルーム

その11 コッツウォルズツアー①バイブリー


その12 コッツウォルズツアー②バートン・オン・ザ・ウォーター





バートン・オン・ザ・ウォーターの次に訪れたのは、コッツウォルズ丘陵では高台に位置するストウ・オン・ザ・ウォルドStow-on-the-Wold。

お昼前の時間なので、人出はかなりありました。平日とはいえ金曜日だったので、通常の平日よりは人出があったかも。
コッツウォルズは有名な観光地なので、混雑を避けるには早い時間に訪れるのがベスト。ロンドンを早く出発したのは正解ですね。

主要道路も混雑します。田舎の道路なのに(!)長い車の列ができているのには驚きました。
ドライバーさんは何度もこのツアーをしていて慣れているので、できるだけ主要道路を避けてくれますが、どうしてもその道路を使わなければならない場合は、遠慮せずがんがん渋滞の列に入りこんでいくので、さすが!です(^-^;
やはり現地をわかっている人だからこそ、限られた時間内にたくさんの村を回れたんだな~と、ツアーに参加してよかったと思いました。







ストウ・オン・ザ・ウォルドも、バートン・オン・ザ・ウォーターと同じように、わりと大きな村でした。
3つの道が交差するので12世紀は、交通の要衝だったそうです。この地域で採れた上質な羊毛の集積地として発展しました。

検索しますと、現在はローカルフード(特にオーガニック)の集積地として、また、アンティークマーケットの拠点として知られているそうです。
アンティークショップには一軒、入りましたが、集合時刻が迫っていたので落ち着いて見れませんでした。

ここではドライバーが珍しく車から降りて、案内してくれました。

というのも、車の中でしきりに”ロード・オブ・ザ・リング”と言っており、教会に行くようにと言っていたのです。それ以上は聞き取れず(^-^;

ドライバーの先導で向かったのが、その教会
「聖エドワード教会(St Edward's Church)」でした。





聖エドワード教会は、コッツウォルズの石でできたノルマン様式の教会。塔は15世紀のものですが、それ以外は11~14世紀にかけて建てられたというかなり古い教会です。
塔を増築するにはかなりのお金が必要だったそうですが、当時は
羊毛取引によって村が潤っていたので可能だったようです。

ドライバーがこっちだよ、と奥へと促します。
そこにあった扉に、みんな、歓喜の声をあげました!





これです!
ああ!そうか!! この扉が『ロード・オブ・ザ・リング』に影響を与えたと話題の扉だったんです。


扉の両側の木はイチイです。枯れ木から再生するイチイは生、死、復活を表し、キリスト教と結び付けられる神聖な木。古くから教会に植えられてきました。
イチイの寿命は3,000年以上。この玄関の木の樹齢は分かっていないそうです。

教会のHPを見ると、このノース・ドアは17世紀後半から18世紀初頭の修繕時に加えられた、ただの裏口だったとのこと。
裏口のわりに立派なのは、北側に立つ建物(現在のストウ・ロッジ・ホテル)に住んでいた牧師が使うためのものだったからではないか。

『ロード・オブ・ザ・リング』は原作が好きで読みましたが、だいぶ忘れているので、どこにこのような扉が出てきましたっけ?(^^;

教会のHPでは第一作に出てくるそう。ロスロリアン(エルフ国)を目指して旅をする指輪の仲間9人が嵐に見舞われ、山の下にある鉱山を探す場面。入り口はドゥリンの扉と呼ばれていて、入り口の両脇には2本のヒイラギの木があった、という描写だそうです。

仲間たちが開く鉱山への扉は、ドワーフとエルフによって作られたもの。ドワーフとエルフは敵同士でしたが、指輪の仲間であるドワーフのギムリとエルフのレゴラスは固い友情で結ばれています。教会のHPには「私たちの美しい木々は、友情の象徴だったのかもしれない」と書かれています。

とはいえ・・・
作者のトールキンは、本当にこの扉からインスピレーションを得たのでしょうか?

トールキンはオックスフォードに住み、兄はイブシャムに住んでいたので、兄弟を訪ねる途中に立ち寄った可能性は大いにある(実際に立ち寄った、と書いてあるサイトもあり)とのことですが、この扉がヒントになったという決定的証拠はないようです。

決定的証拠はない、とは、教会のHPには書いていませんが、このストウ・オン・ザ・ウォルドはイングランド内戦の最後の戦いが行われた場所だそうで、古い歴史に詳しいトールキンはこの教会で紛争と友情の力について考えたのではないだろうか、と書いていました。
私も、トールキンがここを知らなかったはずはないと感じています。




教会の裏手に出て、村をぐるっと回りました。
本当はもっと奥まで行きたかったのですが、集合時間が気になり、冒険はしないことにしました。








かわいいティールーム!!ああ、ここでクリームティーしたい・・・。でも時間ない・・・。





中央の建物、ホテルになっている「The Kings Arms」
ここはイングランド内戦の最後の戦いとも関係がある建物だそうです。
1645年にチャールズ1世がイングランド内戦の前に立ち寄ったとか。
ホテルのHPを見ると、とっても素敵!泊まってみたいなぁ。

イングランド内戦とは:1642年~1651年にかけて勃発した清教徒革命のひとつ。国王チャールズ1世率いる国王派(騎士党)と議会派(円頂党)との間の軍事衝突。
このストウ・オン・ザ・ウォルドでの戦いがイングランド内戦の勝敗を決めたとされ(それでイングランド内戦の最後の戦いといわれているんですね。でも戦いはその後も繰り返され、負けが決定的になったのは1651年のウスターの戦い)、最終的にチャールズ1世は降伏し、処刑されることになります。
イングランドは国王処刑後、共和制に(あのオリバー・クロムウェルがトップに立つ)。

チャールズ1世はスコットランド王ですが、イングランド王も兼ねてました(同君連合)。まだスコットランドとイングランドは連合していない時代です。

絶対王政をしいたチャールズ1世に反発して起こったのが清教徒革命(ざっくり)。
議会で話し合って国を動かそう!と、国王を処刑してまで共和制になったのに、結局はクロムウェルの独裁となってしまった。結局、王政が復古。
チャールズ1世の息子のチャールズ2世が王位につきます。

チャールズ2世はカトリックでしたが、プロテスタントの議会と決裂までは行かずなんとか乗り切って死去。
次に王位についたのは、弟でやはりカトリックのジェームズ2世。ジェームズは親カトリック政策を打ち出し、追放されます。これが名誉革命。(ざっくり)
ほとんど血を流さなくて済んだといわれますが実際は多くの血が流れました。

多くの血が流れた名誉革命についてはスコットランドも大いに関係しており、それはローズマリー・サトクリフの小説『はるかスコットランドの丘を越えて』(ほるぷ出版)を読むと大変よくわかるので、ぜひ読んでみてください♪
この時代に生きてたの?と思うくらい、サトクリフの描写がすばらしいです。この小説以外でも、サトクリフの歴史小説はどれもすごいんです。

17世紀どころか、もっと昔、ローマの支配下にあったグレートブリテンを舞台にした『第9軍団のワシ』は映画化もされました。
(当時のスコットランドの描かれ方が・・・(◎_◎;)まあ、あれが事実に近いのでしょうが・・・)





車がこんなにたくさん停められるだけの場所、昔はマーケットが開かれていたところだそうです。今は駐車場と化している・・・
せっかくの美しい歴史的建物の写真が、車で台無し・・・。どこの村も同じなのですが。
遠くに広い駐車場を設けられるところはそうなっていますが(先に訪れたバートン・オン・ザ・ウォーターはそうなってます)、ここは違うので、ほんと、車が邪魔( ̄▽ ̄;)




ポーチ付きの家、憧れます。ラティスにバラとかツタをからませたら・・・絵本の家だわ~~~。

ここだけは!
と、大急ぎで駆け込んだ「ハフキンス」
阪急さんの英国フェアで、エコバッグが有名になりましたね。






クリームティーやアフタヌーンティーができますが、もちろん私たちは時間がないのでできません(;O;)

ハフキンスは1890年、バーフォードで創業。
1999年、テー家がハフキンスを買収し、その後数々の賞を受賞するベーカリー&カフェ・ティールームに発展させたそうです。
今ではコッツウォルズとロンドンに9つのお店があるそうです。私はまだどこのお店にも行ったことがなかったので、今回、短い時間でも行けて嬉しかったです。




エコバッグとオリジナルブレンド紅茶を購入。
ジュートなので丈夫です。イギリスの綿のエコバッグはぺらっぺらですぐにだめになりそうなくらいはかなげなので、綿製のものは買いません(^-^;

写真に写っている缶のビスケットは、次に行ったチッピング・カムデンで買ったもの。

チッピング・カムデンは、ランチタイムも含まれていたのでだいぶ長く滞在することができました。