2015年7月13日月曜日

プリンス・エドワード島ツアー2015旅日記その3





ボーデン・カールトンをあとにし、次に向かったのは、ロウアーベデック小学校
「赤毛のアン」好きのために内容を考えたツアーですので、アンや、作者ルーシー・モード・モンゴメリゆかりの場所は絶対にはずせません。  

ロウアーベデック小学校は、教員免許を取ったモンゴメリが、三番目に教えた小学校です(1895~1896年)。
代用教諭として赴任しました。
廃校後、朽ち果てていた建物を、地元の有志が協力して修復し、博物館として公開しています。



モンゴメリは下宿先のレア―ド家の長男ハーマンを愛するようになりますが、その愛は実ることはありませんでした。  

当時の小学校というのは「ワンルームスクール」と呼ばれ、一つの部屋の中で、6~16歳ぐらいまでの生徒がみな一緒に勉強していました。教師は一人だけ。
モンゴメリも分刻みのスケジュールをたてて、さまざまな年齢の子たちに、さまざまな教科を教えていました。

建物の中は、そんな当時の学校の様子がわかるよう整えられています。  
当時の学校の様子がわかるところというと「Orwell Corner Historic Village」がありますが、ここは残念ながら、アン関連の観光地とは方向が逆になるため、今回のツアーには組み込むことができませんでした。
あと一日あったら、入れられたのですが……(>_<)  

その後、島で二番目に大きな町・サマーサイドへ。
アンがハイスクールの校長先生として働く町として『アンの幸福』に、実名で登場します。モンゴメリ自身は、サマーサイドで暮らしたことはありませんが、訪れたことはありました。  

お昼の前、30分ほど、サマーサイドの町を歩いて案内していただきました。
アンの物語に出てくる、アンの下宿した家「柳風荘(Windy Willows)」のように、塔(tower)のある家も、外から見学(現在はアパートだそうです)。  




この家の塔は丸い形ですが、六角形などの塔を持つ家もあります。
サマーサイドは造船や、シルバーフォックス(銀狐)の飼育で財産を築いた人の豪華な家も多く、歩きながら家を見て歩くのも楽しいですよ。  

海辺に建つホテルで昼食。
ここで、サマーサイドに住んでいた時の私のホストマザー、ジョーンが会いに来てくれました。
話したいことはいっぱいあるのに英語が出てこない~~~。
今の生活では、英語を使う機会はまったくありません。
翻訳する機会はあっても、しゃべる機会はまったくなし。使わないと、脳の機能の低下とともに、英語もどんどん忘れていきます~~~(>_<) 
やはり、英会話、定期的にやらないといけないかな、って実感。  

ホテルの真向かいがハーバーフロントになっていて、Spinnaker's Landingという、ショッピングエリアがあります。
ここで30分ほど自由時間を取っていただきました。ジョーンは実はチョークアーティストで、島の風景をチョークで美しく描いています。
作品のポストカードが、このエリアのお店でのみ売っています。  
地元の作家が描いた島の風景。お土産にもいかがですか~~~(^-^) と呼びかけましたら、ツアーの参加者さん、ご購入くださいました、本当にありがとうございました。


せっかくですからジョーンにサインも入れてもらって、本当に素敵なお土産になったのではと思います。  
ジョーンとはここで、再会を願ってお別れ。

そのあと、西へと車を走らせ、ビディファドへ。
ここはちょっと遠いため、ツアーではなかなか組み込むのが難しいところですが、ぜひとも訪れていただきたいところです。

ビディファド牧師館という、モンゴメリが下宿した牧師館が、修復され博物館として公開されているからです。
教員免許を取ったモンゴメリが、初めて教師として働いたのが、ここビディファド村の小学校(1894~1895年)。
小学校の建物はもう取り壊され、跡地しかありませんが、モンゴメリが下宿した家(牧師館)は残っています。  




2008年でしたか、NHKで原文で読む赤毛のアンのシリーズ番組があり、松坂慶子さんがこの牧師館の客間での朗読会に参加されていましたよね。  



二階には、モンゴメリが借りていた部屋。「大きすぎる」と日記にモンゴメリが書いているように、とても大きな部屋で、日記の描写の通り、マルペック湾が窓から見えます。

『赤毛のアン』に、アンが間違ってレイヤーケーキに塗り薬を入れてしまう失敗をする場面がありますが、それは実際にあった事件で、その事件が起きたのが、ここの牧師館だったのです。当時の牧師夫人が間違って塗り薬を入れてしまったのだとか。  

ほかにも、台所やパントリー、納屋、ダイニングルームなど、当時の暮らしぶりがよくわかる展示がたくさんあり、モンゴメリに興味がなくても、十分に歴史を感じられる博物館になっています。  

帰りはハイウェイをまっすぐ、シャーロットタウンへと戻りました。

夕食は、モンゴメリの名前を取った「ルーシー・モード・ダイニングルーム」で。
『赤毛のアン』の、クイーン学院のモデルになったのは、モンゴメリ自身が教員免許を取得するために通った「プリンス・オブ・ウェールズ・カレッジ」。
その学校はのちに大学へと移行。学校があった場所には現在、「ホーランド・カレッジ」という専門学校があります。

このホーランド・カレッジで料理を勉強する生徒たちのトレーニングの場として作られたレストランが、ルーシー・モード・ダイニングルーム。  

私はてっきり、ホーランド・カレッジの中にあると勘違いしてみなさんをご案内してしまいましたが、場所が違っていて……(-_-;) 
たくさん歩かせてしまう結果になってしまいました、申し訳ありませんでした。
レストランはホテルのすぐそばにあったんです……(汗)。

建物自体はコンクリートの何のへんてつもないビルですが、レストランの窓からは海が見渡せ、ロケーション抜群です。
料理人を目指す人たちの作る料理、盛り付けなども美しく、凝った創作コースがいただけました。  


食事が終わって20時。まだ明るいので(21時くらいまで明るいんですよ)、少し町を歩いてみました。
古い建物を壊したりせず、外観はなるべく保つようにしているため、入るお店は変わっても、町並みは変わりません。  


上の写真は、赤毛のアンのミュージカルが行なわれるコンフェデレーション・センター。
赤毛のアンのミュージカルの広告イラストがかわいらしいですね。(毎年広告デザインは変わります)  

赤毛のアンのミュージカルは、同じ場所で途切れなく毎年続いてきた最長ミュージカルとしてギネスに認定されています。
今年は、アン役は初めてこの島出身の女優さんがやるということで、話題になっていました。
でも、今回のツアーで観るのはこちらではなく、「アンとギルバート」。
赤毛のアンは、劇団四季のミュージカルで観ている方も多いかなと思って、日本では未公開の「アンとギルバート」を選びました。  

何度も出てくる「コンフェデレーション」という言葉。連合、連邦という意味の言葉です。コンフェデレーション・センター、コンフェデレーション・ブリッジなどなど、島のあちこちで使われています。
なぜなら、北アメリカにあったイギリスの植民地がまとまって、カナダという連邦国を作りましょう、という会議が、記念すべき第一回目の会議が、なんと、ここシャーロットタウンで開かれたからです! 
1864年のこと。

ですから、島は、カナダ発祥・誕生の地ということを観光のアピールポイントにしています。  
とはいえ、会議が重ねられ、1867年にカナダという国(自治領カナダ)が正式にできた時、プリンス・エドワード島はそこに加わっていませんでした。
カナダに加入するメリットが見いだせなかったのでしょう。島がカナダに加入するのは、ずっとあと、1873年のことです。  

去年2014年は、カナダ建国会議から150周年ということで、盛大にお祭りが行なわれたそうです。
1864、150という数字、今年もまだ残っています(^_^;) 

島の人にとって大事なのは、カナダができたことでなくて、カナダができるきっかけになった会議がここで開かれたということ、なんですよね。  

そういうことで、車のナンバープレート。
以前は、赤毛のアンの顔が描かれたものと、コンフェデレーションの象徴であるプロビンス・ハウス(州議事堂)が描かれたものと、好きなほうを選べたのですが、今はコンフェデレーションのナンバープレートに統一されました。  



このプレートに動物が描かれているものもあり、それは、環境保護への寄付をした人であることの証だとか。
ガイドさんからいろいろ教えていただき、私も勉強になります~。

それにしても、こんなにころころとナンバープレートが変わる州も珍しいのでは?と思いました。
私が住んでいた時期は、赤毛のアンの顔や、州議事堂の建物が描かれたナンバープレートが作られる前。アルファベットと数字だけのプレートでした。

 (その4へつづく) 

**インスタグラムやっています。フォローお願いします(^◇^)気軽な投稿はインスタのほうが頻繁です~*** ***フェイスブックはこちら。***