2019年12月27日金曜日

新年のご挨拶をご遠慮させていただきます


 
2019年12月21日、大好きな姉が亡くなりました。
急性心臓病、シャワーを浴びている時に突然のことだったようです。
享年61歳。 

ついこの間、お歳暮をもらって、電話で話をしたところでした。
私が送ったお歳暮は亡くなった翌日に届きました。
届いた時、私は白い布をかぶった姉の横に座って泣いていました。

こんなことって…… これから終活をやろうと思う、と言う姉に、今年のはじめ、終活カウンセラー協会のエンディングノートをあげたことがあります。
こういう簡単なノートを探していたんだよ、ありがとう、って言ってくれた姉。
何か書き残しているかも…と思い、ノートを探してすぐに見つけましたが、真っ白のままでした。
これから書こうと思っていたのでしょう。

自分でも、こんな突然にお迎えがくるとは思ってもいなかったはずです。 
8歳離れた姉とはケンカをした記憶は今までまったくなく、いつも私のことを助け、支えて、応援してくれました。
背が高く、美人でなんでもできて、同じきょうだいなのに、私とは全然違って、姉はいつも私の自慢で、大好きでした。

本当に、今も信じられなくて、放心状態です。 
倒れていた姉を見つけたのは母で、母は自分が生んだ子どもに先に逝かれてしまい、取り乱していて、私もどうしていいのかわかりませんでした。

家族も親戚もみな、ただただ、驚きと悲しみに打ちひしがれていました。 

今まで、身内の不幸のことはSNSに公にしないできましたが、今回は突然のことで、また、年始のご挨拶をご遠慮させていただかなくてはならないため、ご報告をさせていただく次第です。 
今まで賜りましたご厚情に心からお礼を申し上げます。 

姉は写真に撮られるのが嫌いで、葬儀用の写真を見つけるのも苦労していました。
そういえば、私は、姉と一緒に写った写真がありません。

私も、撮るのは大好きですが撮られるのは好きじゃなくて、姉との写真もないことに気づきました。
でも、そういえば…うんと小さい頃の写真があったんです。 

私が、自分の終活のために、写真を整理した時、姉と映っている小さい頃の写真がたった1枚だけありました。 



 
この写真は二人だけではないけれども、姉と一緒に写っています。
一番右で膝をついているのが姉。私はやっぱり、姉の足の間におさまっています。
どちらも白黒写真。昭和42年頃かと思います。 

姉への感謝を込めて。お姉ちゃん、本当にありがとう。
私はお姉ちゃんのぶんまでがんばって生きるからね。

2019年12月21日土曜日

カナダ大使館の図書館

昨日の投稿に続き、ストーリー・オブ・マイ・キャリア 赤毛のアンが生まれるまで』の出版記念トークイベントの話は続きます(書きたいことがいっぱい!!) 

プリンス・エドワード島大学のケイト・スカース教授からは、2018年と2019年は日本とカナダの日加修好90周年の記念の年だともお話がありました。

それは知らなかった!と恥ずかしくなって(;'∀')
家に帰って調べてみました。 

1928年7月20日に日本がオタワに日本公使館を開設、翌1929年にはカナダも東京に公使館を開設しました。 

 「日加の国交が正式に始まったのは1928年7月20日だったものの、実はその50年前にはカナダ人が日本の地に降り立っていました。

江戸時代末期に北海道に降り立った若いカナダ人男性は英語教師として日本で英語の通訳ができる人材を育てたといわれます。 

一方、日本からカナダへの最初の移民は永野万蔵氏であり、1877年にブリティッシュ・コロンビア州のニューウェストミンスターで船を降りました。

当時カナダへと渡った日本人は漁業や鉱山業、林業などに関わっていました。

当時も今と変わらず、日本は狭い国土の中にある限られた資源を多くの人が分け合って住んでいる国です。

渡加した日本人たちは広大な大地と資源に恵まれ、人口も日本と比べて少ないカナダに家族や友人を招いていた歴史があります。 

 そのような歴史の中では勿論両国の関係が難しい時期もありました。

日加が国交を正式に樹立した翌年には世界恐慌が始まり、国々はブロック経済と称して自国通貨と産業の保護に努めました。

日系カナダ人は差別に苦しみ、第二次世界大戦が始まると強制収容所へと送られました。

しかし、私たちは過去から失敗を学び、和解し、1951年に日本は国際舞台に復帰し、日加関係は新たなスタートを切りました」。 

「日本は諸外国からの力を借り、平和を愛する民主主義国家として生まれ変わることが出来たのです。

今では日本は最先端技術を有し、世界で第三位の経済大国として自由公開市場を世界に広める役割を持ち、戦後に学んだことを後進国の発展に活かしています」。 

1950年前半には日本企業はカナダとの貿易を再開し、今日ではカナダにとって5番目の輸入先、そして4番目の輸出先となっています。 (TORONTO+JAPANMAGAZINEのネット記事より http://torja.ca/japan-canada-90/) 

こうした日本とカナダの歴史を振り返ることは大事ですね。

私も、プリンス・エドワード島やカナダにとてもお世話になった一人なので、両国の関係が良好で、多くの方に、カナダの魅力を知ってもらい、カナダを訪れてほしいと思っています。 (私はカナダ全州を訪ねてはいませんので、今後も機会があれば行きたいと思っています!カナダの素敵なところは、プリンス・エドワード島だけではありませんよ~)

 カナダを知りたいと思った時に、関連する本を全部買うのは無理ですよね。
そんなときには、カナダ大使館 E・H・ノーマン図書館を利用できますよ!!

私もカナダを旅行する時、そしてワーキングホリデーを申請する時など、こちらの図書館を利用させていただきました。 

大使館の中にあるので、ちょっと入りづらい…敷居が高いのでは…と、躊躇される方も多いかもしれませんが、まったくそんなことはないんですよ! 

入館の時に身分証明書さえ提示すれば、だれでも利用できます
カナダに関する本はおそらく全部揃っているのではないでしょうか。 



ここが赤毛のアンやプリンス・エドワード島に関する本が並んでいる書棚です。

赤毛のアン展に展示されていた、登場人物のシルエットオブジェもありました!
私の本もありましたよ(≧▽≦) 


椅子や、ビーズクッションなどもあって、ここで好きな体勢で、好きなだけ、本を読んだり、カナダの音楽を視聴したりできるんですよ~。 



 

カナダのスポーツにまつわる展示もありますし、カナダという国のことを知るには、まずここを訪れるのが一番!!です!! 

 久しぶりにこちらの図書館を訪ねて、読んでみたい本がたくさんありました。

ぜひまた来たいと思います。
みなさんも、ぜひ一度、訪ねてみてくださいね(^^♪

2019年12月20日金曜日

赤毛のアンのトークイベント@カナダ大使館

2019年12月18日(水)、日帰りで東京へ行ってきました。
カナダ大使館 E・H・ノーマン図書館にて、赤毛のアンに関するトークイベントが行われ、光栄にもご招待をいただきました。
ありがとうございます<(_ _)> 

今年、柏書房から『ストーリー・オブ・マイ・キャリア 赤毛のアンが生まれるまで』が出版されました。

これを記念して、プリンス・エドワード島大学のケイト・スカース(Kate Scarth)教授と、翻訳者・水谷利美先生をお迎えしてのトークイベントでした。 

『赤毛のアン』の作者モンゴメリが、その出版から9年後の1917年、自身のキャリアについて書いたエッセイをトロントの雑誌に連載しました。
その自伝的エッセイは、1974年に「The Alpine Path」というタイトルで出版されました。アルプスへの道、つまり頂上を目指す険しい道という意味です。 

日本語訳は、篠崎書林から1979年に『険しい道―モンゴメリ自叙伝―』(山口昌子訳)として出版されましたが、現在絶版です。
 

 
図書館に展示してあったモンゴメリ関連書。
私はこれら、全部持っています(;^ω^) 

私はこれまで、赤毛のアンやモンゴメリの関連書を執筆するにあたり、篠崎書林の『険しい道』は何十回も読んでいます。
モンゴメリを知るには必読書ですが、新訳が出たことには少なからずびっくりしたのです。 

『赤毛のアン』を書いた”作者”に興味を持つということは、赤毛のアンを好きという段階から、さらにうえの好奇心が必要で、何人の日本人がモンゴメリに興味を持っているのか、捉えかねていたからです。 
でも、絶版としてこのまま消えてしまうにはあまりにも惜しい、と、翻訳者の水谷先生は思われたのでしょう。 


 
訳者あとがきにも書かれているように、篠崎書店版では”モンゴメリ自伝”とタイトルに加えられていますが、これは自伝ではなく、あくまでモンゴメリが自分が成功するまでのいきさつを綴ったものであること。 

成功したいともがき苦しんでいる、自分のあとに続くクリエイティブを目指す人たち(趣味ではなくそれを生活の糧にするという意味での)をはげますために書いたということ。 

現在に比べ、女性の社会進出が難しかった当時、モンゴメリが努力と忍耐でそれを乗り越えたこと。 

こうしたことが、現在の私たちにも勇気と元気を与えてくれるはずだと、水谷先生は思われ、新訳を出されたのです。 

自伝と解釈するには中途半端ではあるけれども、モンゴメリの人となりがよくわかるという意味ではおもしろく、ぜひみなさんに読んでいただきたいとお話されました。 

また、プリンス・エドワード島大学にはモンゴメリ研究所があり、「ジャーナル・オブ・L・M・モンゴメリ・スタディーズ」というインターネットサイト(誰でも見れます。英語のサイトですがご興味のある方はぜひ読んでみてください→https://journaloflmmontgomerystudies.ca/)の運営もしているのですが、その中心的人物としてもご活躍されているケイト・スカース教授にお目にかかり、お話を聞かせていただけたことはとても光栄でした。 

教授は、子どもの頃のモンゴメリに影響を与えた3人の人についてお話され、今やモンゴメリその人が別の人(私たちを含めて)へ影響を与え、赤毛のアンの人気は衰えていないことにも触れています。

カナダ文学の中での大事な位置を占めるだけでなく、世界的にも影響を与えている作品と作家であることのすばらしさ。 
そして、新訳が出たこの本については、現在、全巻出版されているモンゴメリ自身の日記を手に取るとっかかりとなっていることにも触れ、あえてこの本で触れていない部分、実際のモンゴメリとの違いなどを見つける探偵のような楽しみがあります、とお話されました。 

このトークイベントの大きなテーマである女性の社会進出、女性がやるとされている様々な雑用や役割をこなしながら、第一線で働く女性についてもお話がありました。 

水谷先生が、昨日の新聞に掲載されていたニュースとして、世界経済フォーラム(WEF)が発表した、各国の男女格差の大きさを調査した「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」2019年版をお話くださり、会場全体が騒然となりました。 

日本は調査対象となった世界153カ国のうち、121位(2018年は110位)、G7のなかで最低。 ジェンダー・ギャップ指数では、各国の男女の格差を経済・教育・健康・政治の4分野14項目で分析。各分野における男女格差に着目して、評価しているとのこと。 

男女格差解消に貢献する上位の国々は1位から、アイスランド、ノルウェー、フィンランド、スウェーデンと北欧諸国が並び、カナダは16位。 

一概に順位だけで安易に判断はできませんが、G7の中で最低という日本の状況はやっぱり問題があると思いました。

私は家庭の主婦も、子育ても、それだけで立派な”仕事”だと思っているので(自分はできていないからこそよけい)、全員がバリバリ働くべきとは思っていません。
ただ、一生懸命働きたい、がんばって上を目指す女性が、不当な障害で報われないことはあってはならないと思っています。 

私一人が何ができるわけではないけれど、私はモンゴメリの生き方を知って、励まされましたし、できる限りの努力をしてきました。 
きっと、私と同じように、モンゴメリに励まされた方は多いと思います。

モンゴメリを知らない方には、この新訳を読んで知ってほしいし、モンゴメリのように、努力と忍耐で自分の道を切り開いていってほしいと思うのです。 

もしそれが失敗になっても、諦めない限り、成功はいつまでも手に届くところにあると思うし、私は失敗から学ぶこともたくさんあったので、陽転思考、前向きに生きていくことが大事だと思うのです。 

 (つづく)

2019年12月19日木曜日

神戸ルミナリエ

ずっと、神戸ルミナリエを見たいと思っていて、やっと今回実現しました。
2019年のルミナリエは、12月6日(金) ~ 12月15日(日)までの10日間でした。
これに合わせて神戸行きを決めました。 

ティーハウスムジカさんを出て、大通りへ向かうと、道路が封鎖されていて、交通整理員の人たちの指示に従って、大勢の人がぞろぞろと歩いていました。
なんと、これがルミナリエに行く人々の行列だったのです! 

元町駅からルミナリエ会場までの長い距離、フェンスで仕切られた部分を一方通行で歩いていくようになっていました。 
こ、こんなに大勢の人が行くんのね~~(^▽^;) 
初めてなので、びっくりしながら、私もその列に加わって、てくてく歩きました。
平日でこれだけいるのだから、土日はどんなに混むのだろう…(◎_◎;) 


大丸のところ。この向こうから、ルミナリエが始まります!!胸が高鳴ります。 


これが見えた時には「わ~~~!」という歓声があがりました。
本当に美しい。最終地点の東遊園地まで、きらきらのイルミネーションがずっと続きます。 




 
「ルミナリエ」はヨーロッパのバロック時代(16世紀後半)に盛んに創られた祭礼や装飾芸術のひとつとして誕生した、光の魅力を駆使した建築物がその起源とされます。
イタリア南部において電気照明を使用した幻想的な光の彫刻に変化をしていき、現在の形態になりました。 
アーチ型構造体を道路上に設置した「ガレリア」と呼ばれる遠近感のある回廊や、「スパリエーラ」と呼ばれる光の壁掛けなどで構成されます。(HPより)

「神戸ルミナリエ」は、ただのクリスマスイルミネーションではありません。
1995年1月17日に兵庫県南部地方を襲った阪神・淡路大震災の記憶を次の世代に語り継ぐ、神戸のまちと市民の夢と希望を象徴する行事として開催されているのです。 

大震災が起こったこの年の12月、年初の悲しい出来事による犠牲者への慰霊と鎮魂の意を込めた「送り火」として、また、間もなく新しい年を迎える神戸の復興・再生への夢と希望を託して「神戸ルミナリエ」が始まりました。 

未だ震災の影響が色濃く残り、復旧途上にあった神戸の夜に初めて灯った、イタリアからやってきた荘厳な光の芸術に、連日感嘆の声があがり、震災で打ちひしがれた神戸のまちと市民に大きな感動と勇気、希望を与えました。 

そして、会期終了直後から継続を求める強い声が市民や各界から寄せられ、市民や来場者、趣旨にご賛同頂いた事業者の皆様のご支援と地元の皆様のご理解・ご協力により毎年途切れることなく続いています。(HPよりまとめ) 


震災で亡くなった方、被災された方への思いを込めて鐘を鳴らします。
募金もあちこちでつのっているので、募金もしてきました。
ルミナリエがずっと続きますように。 


 
神戸市役所の展望台は、エレベーター待ちの行列ができていました。
上からルミナリエを見るためです。全体像が見えてきれいでしたが、やっぱり、下から見上げるのが一番感動しました。 


 
写真にはうまく写りませんでしたが、むこうの山の稜線に、模様が浮かび上がっています。ルミナリエに合わせてのライトアップでしょうか。 

一日の終わりを飾るきれいな夜景を見れて幸せな気分でホテルへ帰りました。 
 朝からいっぱい歩きました。1万5千歩以上、歩いていました(;^_^A 

さすがに疲れましたが、知らない街を歩いてたくさん刺激を受けて、学んで、充実した一日を終えました。ありがとうございました。


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2019年12月18日水曜日

神戸 街歩き

神戸ファッション美術館での英國紅茶物語 アフタヌーンティーのよそほひ』展を観るために神戸に行った話を書きましたが、この前日から一泊して、神戸を楽しみましたよ。 

まずは「アンダーグラウンドベーカリー」さんのスコーンを買うため、開店40分前に並びました。
平日でしたが、すでに15人ほど前に並んでいて…本当に大人気のお店なんですね。
不安は的中、人気の”ティールームスコーン”は私の5人くらい前で売り切れ(;O;) 
”田舎のスコーン”が、奇跡的に3個残っていたので、それを買いました。
この日のスコーンはこの二種のみでしたので、他の英国菓子もいくつか買って、夜に、泊まったホテルで食べました。 



スコーンは家に持って帰って、ちゃんと温めて食べました。
名前通り、英国の田舎で出てくるような、大きくて、ほろっとくる、素朴な味。 

お昼は、お友だちのインスタにあがっていて気になっていた「itsu葉」さんへ。
メインを選ぶと、ごはんや汁物、サラダ、飲み物というサイドディッシュがブッフェになります。  


肉は食べられないので、お魚をチョイス。  


お米マイスターが選ぶ週替わりの炊き立て御飯は数種類ありました。
お米大好きなのでうれしい♪ 
コラーゲンたっぷりのミネストローネスープが超絶おいしくて、お代わりしちゃいました。 


これ、全部、ぬか漬けです。自家製ぬか漬けはとにかく種類が豊富。
写真はほんの一部です。これに、地場野菜のサラダもたくさん。
こんなに食べられて、1,500円以下って、なんて良心的!!

おなかいっぱいになったあとは、リニューアルした神戸市立博物館へ。
年間工事をしていたんですよね(以前神戸に来た時には工事中だったのでリベンジです)
リニューアル記念の『名品展』を観てきました。

国宝の銅鐸・銅戈をはじめとする考古・歴史資料、南蛮紅毛美術や神戸関連の美術資料、南波松太郎氏・秋岡武次郎氏収集の古地図資料など、とても充実していました。 



ステンドグラスもきれいです。 
予約していたホテルに向かう途中、神戸市役所に立ち寄りました。
24階(地上約100m)の展望台が無料で景色がいいとのことで。 


 

↑山側。  



ルミナリエの会場「東遊園地」。夜景がきれいとのことなので、夜にまた来るつもり。
展望台、22時まで開けてくれているんです。ありがたいですよね。 

ホテルにチェックインして一休みしたあとは、今年3月にオープンした『リカちゃんキャッスルの小さなクローゼット神戸三宮』に立ち寄りました。 
子どもの頃、リカちゃんで遊び、リカちゃんハウスも持っていました。
私にとっては、バービーよりもリカちゃんです。 
福島に『リカちゃんキャッスル』があって、一度行ってみたいのですがまだ一度も行けてないです(;O;) 


 
もうリカちゃん人形は手元に残ってないので、このお店に行った目的は”神戸タータン”を使った「スクールガールリカちゃん」を見るため。
このお店だけの限定商品だそうです。ウインドーに飾ってありました!かわいいですね。 

ここはリカちゃん人形に着せる洋服と、リカちゃんとお揃いになれる子ども服がメインなのですが…こんなものを発見。 


 
リカちゃんキャッスルのラーメン。三宮のこのお店のオープン記念パッケージ、と書いてあったので、記念に買ってきました(^^; 

そしてもう一軒。大好きなスヌーピーのホテルーー『ピーナッツホテル』ができたというので…そこも見に行きました。
高くてとても私は泊まれないので…せめてカフェだけでも…と思って(笑) 




ホテルのフロントのソファに、スヌーピーがいました(#^^#) 


ホテルフロントの横に、カフェがあります。
人がいっぱいいて落ち着かなかったのでカフェ利用はやめて、オリジナルグッズを物色して、マルシェバッグを買ってきました。 



17時過ぎにはとっぷりと日が暮れました。大人な雰囲気の通りを歩いて…… 老舗の「ティーハウスムジカ神戸元町」さんに到着。紅茶好きならここは外せませんね。 



クリームティーを注文。紅茶もおいしかった!
苦みが苦手な私ですが、苦くてもおいしい紅茶、というのがわかりました。

ビルの二階ということもあり、また、途中からお客は私一人だけになったので、クラシック音楽が流れる落ち着きのある店内で、まったりとくつろぐことができました。 

このあとはいよいよ、今回のもう一つの目的、「神戸ルミナリエ」へ向かいます。

 (つづく)


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2019年12月15日日曜日

英国紅茶物語 紅茶展を観てきました♪

特別展『英國紅茶物語 アフタヌーンティーのよそほひ』を観るため、神戸ファッション美術館へ行ってきました♪ 



昨年2018年の9月には『タータン展 伝統と革新のデザイン』(私が企画から携わった思い入れのある展覧会です。現在は新潟県万代島美術館で2020年3月1日まで開催中)が行われていました。

早いもので、あれから一年たつのですね。 

百貨店が行う、物販が主目的のイベントとは違い、美術館が企画しているので、英国の紅茶の歴史から、生活に根差してきた文化的背景まで、わかりやすく、ビジュアルを交えて説明されています。

特に、ここはファッション美術館というだけあって、人々が紅茶に向かいあうときにどんな服を着ていたか、という点にも焦点があてられているのが特徴です。 

チラシには、ドレスと茶器でよみがえる優美なティータイム、とあります。
この一行だけ読んでも、わくわくしますよね~~(≧▽≦) 

私がお世話になっている、東京のCha Tea紅茶教室さんが関わっておられ、記念講演会はキャンセル待ちが出るほどの人気だったそうです。
残念ながら、私はその日はいけなくて、やっと今回、行くことができました(^^♪ 

紅茶=英国、というイメージがありますが、そもそも喫茶文化は中国から始まり、中国や日本からヨーロッパへと伝わったもの。
もともとは緑茶が輸出されていたのですが、時代をへる中で、烏龍茶や紅茶のような、発酵したお茶が好まれるようになります。 

実はイギリスは、お茶の輸入も、茶器の製造も、他のヨーロッパの国に遅れをとっていたのですが、19世紀にはおいつき、そしてなんといっても「アフタヌーンティー」という独自の文化に育て上げたことは英国の果たした偉大な功績のひとつですね。 


 あまりフォトスポットがないのが残念なのですが… 


 入り口のところで、好きなティーカップのプレートを持って写真が撮れますよ! 


 
また、ローブ・ア・ラ・フランセーズと呼ばれる典型的なロココ(マリー・アントワネットの時代の流行)のドレスを試着することができます! 
後ろにマジックテープがついていて…などという安易なものではなく、コルセットやパニエをつけてからのドレス着用という、本格的なものなので、着脱するのにとても時間がかかります。(試着される方は時間に余裕を持って~~~ね) 
私が着たのはブルーですが、ピンクもありますよ。 



 
展覧会に合わせた、期間限定のアフタヌーンティーもあります!
私はシェラトンホテルのアフタヌーンティーをいただいてきました(^^♪

1868年に開港した神戸港、英国との貿易が、日本で最も盛んな港とされています。
1925年に神戸紅茶株式会社の前身となる「須藤信治商店」が創業。 
1957年には、英国の紅茶メーカー「リプトン」が日本初の生産工場として神戸紅茶を指定するなど、神戸と紅茶のつながりは深いそうです。

今回の展覧会では神戸紅茶さんの歴史も知ることができます(#^^#) 

また、神戸は紅茶消費額が1,545円で全国1位、消費量も387グラムで全国2位(総務省家計調査2013年~2015年)だそうで、一世帯が1年間に紅茶にかける金額が、全国平均(767円)の2倍以上あるとのこと。
まさに、紅茶の街ともいえるんですね。 



 
入り口では「フェリシモ クリスマスアーカイブスコレクション展」もやっていて、こちらも世界各地のクリスマスの様子がわかっておもしろかったです。

函館に「フェリシモ クリスマス ミュージアム」というのがあって、雑誌の取材で訪れたことがあります。 今もあるのかな、と思って調べたら、もう閉館してしまったんですね…(;O;) 
2001年に閉館したようです。まさか、閉館していたとは…本当に残念…。 

英国のマリア・フォン・スタウファー伯爵夫人からフェリシモが譲り受けた、約10万点に及ぶヴィクトリア王朝時代をはじめとするクリスマスコレクションということで、それは見事なコレクションでした。 

ミュージアムはなくなったけれど、こうして展示ができるほどなのでコレクションは散財せず、保管している感じですね。
まとまっていてこその価値があるので、フェリシモさん、クリスマスコレクションはぜひ、持ち続けてください<(_ _)> 

こちらのクリスマスアーカイブスコレクション展は12月26日(木)までで、その後は…お正月関連になるのでしょうかね??  

神戸ファッション美術館での『アフタヌーンティーのよそほひ』展は、2020年1月19日(日)まで開催しています。 
年末年始でお忙しい時期とは思いますが、ちょっとの時間、展覧会で心の安らぎを感じてみませんか。 
新神戸駅、三宮駅からバスもあります(すぐそばのシェラトンホテルが終点です)ので、乗ってしまえばすぐですよ。


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2019年12月14日土曜日

徳川慶喜公が愛した庭でランチ♪

世界お茶まつりを楽しんだ翌週も、また、静岡まで行ってきました。
会員になっている、赤毛のアン&モンゴメリファンクラブ「バターカップス」のオフ会へ参加するためです。 

関東や中部など、遠方からお越しくださった方もいらっしゃって、11名の賑やかなランチとなりました。

場所は「浮月楼(ふげつろう)」。
江戸幕府最後の将軍(第15代将軍)・徳川慶喜が、大政奉還の後、1869年から1888年まで居住していた屋敷跡が、現在は料亭・レストラン・催事場所になっているのです。 

カフェのほうは行ったことがあったのですが、料亭のほうは今回が初めてでした(重厚な門構えで、塀に囲まれていて中が見えないので、気軽に入れる雰囲気ではないのです(^^;) 



 
浮月楼の魅力は、なんといっても、四季折々に美しい庭園です。
慶喜公は、元の代官屋敷に手を入れて現在の浮月楼の庭を作りました。
といっても作庭したのは名作庭師・小川治兵衛。
治兵衛が造った池泉回遊式庭園が、現在の浮月楼の庭園のもとになっているとのこと。

春は桜が美しいそうです。 慶喜公時代の浮月楼の敷地は現在の二二〇〇坪に比べ、倍近くの約四五〇〇坪以上あったようで、敷地の半分以上が庭で、大きな池と小さな池があったようで、池に船を浮かべて楽しんでいる写真が残っています。 

慶喜公は政治には関心がなく、狩りや写真撮影など、好奇心旺盛にさまざまな趣味を楽しんでいて、自転車にさっそうと乗っていてしゃれ者だったようです。
静岡の市民たちから「慶喜様」(けいきさま)と親しまれていたとか。

慶喜公の静岡時代がわかるちょっとした資料も飾ってあって、ランチまでの時間、みんなで慶喜公へ思いをはせました。 


この竹は、慶喜公お手植えの「台湾竹」。
当時の日本においては希少品種で、慶喜公のあたらしもの好きがうかがえる、と、案内板にありました。 

台湾といえば、今年、3回目の台湾旅行をしてきました♪
その時の日記はこちらから。1~!3まであります。長いので(^^; お時間のある時に読んでくださいね。


レストランの大きな窓からは、庭がよく見えて、気持ちいいです。 
幹事を引き受けてくださった方が、個室を予約くださって、その個室からも竹林がきれいに見えました。


季節限定で数量も限定の「紅葉弁当」も予約してくださって――これが目もおなかも満足させてくれるすばらしい内容でした! 


二段の竹かごに、彩あざやかな懐石料理がぎっしり詰まっています(≧▽≦) 
ごはん茶碗の蓋に、葵の御紋が…。 



 
どれから食べようか迷ってしまいます。おいしいものを食べるとおしゃべりも弾みますね! 自己紹介をして…赤毛のアンの話もして…。あっという間の時間でした。

またどこかでお目にかかりましょう、と、みなさん笑顔で分かれました。
天気も良く、本当に充実したひとときでした。いい日だったのか、結婚式の写真撮影も見ることができました。 

大人数をまとめ、レストランの予約や送迎などなど、幹事をやってくださったお二人には大変お世話になりました。
ありがとうございました<(_ _)>