昨日の投稿に続き、『ストーリー・オブ・マイ・キャリア 赤毛のアンが生まれるまで』の出版記念トークイベントの話は続きます(書きたいことがいっぱい!!)
プリンス・エドワード島大学のケイト・スカース教授からは、2018年と2019年は日本とカナダの日加修好90周年の記念の年だともお話がありました。
それは知らなかった!と恥ずかしくなって(;'∀')
家に帰って調べてみました。
1928年7月20日に日本がオタワに日本公使館を開設、翌1929年にはカナダも東京に公使館を開設しました。
「日加の国交が正式に始まったのは1928年7月20日だったものの、実はその50年前にはカナダ人が日本の地に降り立っていました。
江戸時代末期に北海道に降り立った若いカナダ人男性は英語教師として日本で英語の通訳ができる人材を育てたといわれます。
一方、日本からカナダへの最初の移民は永野万蔵氏であり、1877年にブリティッシュ・コロンビア州のニューウェストミンスターで船を降りました。
当時カナダへと渡った日本人は漁業や鉱山業、林業などに関わっていました。
当時も今と変わらず、日本は狭い国土の中にある限られた資源を多くの人が分け合って住んでいる国です。
渡加した日本人たちは広大な大地と資源に恵まれ、人口も日本と比べて少ないカナダに家族や友人を招いていた歴史があります。
そのような歴史の中では勿論両国の関係が難しい時期もありました。
日加が国交を正式に樹立した翌年には世界恐慌が始まり、国々はブロック経済と称して自国通貨と産業の保護に努めました。
日系カナダ人は差別に苦しみ、第二次世界大戦が始まると強制収容所へと送られました。
しかし、私たちは過去から失敗を学び、和解し、1951年に日本は国際舞台に復帰し、日加関係は新たなスタートを切りました」。
「日本は諸外国からの力を借り、平和を愛する民主主義国家として生まれ変わることが出来たのです。
今では日本は最先端技術を有し、世界で第三位の経済大国として自由公開市場を世界に広める役割を持ち、戦後に学んだことを後進国の発展に活かしています」。
1950年前半には日本企業はカナダとの貿易を再開し、今日ではカナダにとって5番目の輸入先、そして4番目の輸出先となっています。 (TORONTO+JAPANMAGAZINEのネット記事より http://torja.ca/japan-canada-90/)
こうした日本とカナダの歴史を振り返ることは大事ですね。
私も、プリンス・エドワード島やカナダにとてもお世話になった一人なので、両国の関係が良好で、多くの方に、カナダの魅力を知ってもらい、カナダを訪れてほしいと思っています。 (私はカナダ全州を訪ねてはいませんので、今後も機会があれば行きたいと思っています!カナダの素敵なところは、プリンス・エドワード島だけではありませんよ~)
カナダを知りたいと思った時に、関連する本を全部買うのは無理ですよね。
そんなときには、カナダ大使館 E・H・ノーマン図書館を利用できますよ!!
私もカナダを旅行する時、そしてワーキングホリデーを申請する時など、こちらの図書館を利用させていただきました。
大使館の中にあるので、ちょっと入りづらい…敷居が高いのでは…と、躊躇される方も多いかもしれませんが、まったくそんなことはないんですよ!
入館の時に身分証明書さえ提示すれば、だれでも利用できます。
カナダに関する本はおそらく全部揃っているのではないでしょうか。
ここが赤毛のアンやプリンス・エドワード島に関する本が並んでいる書棚です。
赤毛のアン展に展示されていた、登場人物のシルエットオブジェもありました!
私の本もありましたよ(≧▽≦)
椅子や、ビーズクッションなどもあって、ここで好きな体勢で、好きなだけ、本を読んだり、カナダの音楽を視聴したりできるんですよ~。
カナダのスポーツにまつわる展示もありますし、カナダという国のことを知るには、まずここを訪れるのが一番!!です!!
久しぶりにこちらの図書館を訪ねて、読んでみたい本がたくさんありました。
ぜひまた来たいと思います。
みなさんも、ぜひ一度、訪ねてみてくださいね(^^♪