2020年1月20日月曜日

長崎・佐賀旅行⑩(最終回) 波佐見

長崎・佐賀旅行記を続けています。

ハウステンボス編はこちら。



長崎・佐賀旅行 有田編(その4)
長崎・佐賀旅行 有田編(その5)
長崎・佐賀旅行 有田編(その6)
長崎・佐賀旅行 有田編(その7)

長崎・佐賀旅行 大川内山編(その8)
長崎・佐賀旅行 波佐見編(その9)



白山陶器のあとに訪れたのは、波佐見の中でも、多くの窯元が集まる「中尾山」。
大川内山のように、窯元は山のほうに集まっているんですね。





中尾山も、橋や塀、案内板などに、波佐見焼が贅沢にあしらわれています。 



奥まで行くと、展望台や、中尾山の18の窯元の作品を集めた交流館などがあるのですが、すでにだいぶ疲れてきたので、手前の数軒をささっと見て、一休みすることにしました。

山をおりて… もと大きな製陶所だった敷地とその建物を有効活用した人気のエリアへ。 





カフェや雑貨屋、ギャラリーなどが集まっています。敷地内を散歩して歩くだけでも楽しい。
敷地内の建物は国の有形文化財、県のまちづくり景観資産に登録されています。 

私たちはその中の、「モンネ・ルギ・ムック」というリノベカフェで一休みしました。 



 
道路をはさんだ向かいにあったのは… 




こちらも国の登録有形文化財に指定されている、「旧波佐見町立中央小学校講堂兼公会堂」。
1937年に建てられ、1995年に新築移転されるまで町民に親しまれてきたそうです。
和洋の要素が混在する木造洋館としては、九州では最大級とのこと。 
二度にわたる解体予定が地元の人々の反対でくつがえされ、改修を重ねながら有効活用が図られているとのことで、今、私たちが一休みしたカフェもそうした古きよきものの有効活用なんですね。 

ここで、私たちの佐賀・長崎旅行はおしまい。
長崎空港へ向かい、レンタカーを返して、20:40の便を待ちます。
高速道路を使うのが最速ルートですが、時間に余裕があるので下道で空港へ向かいました。約1時間。 


 
大村湾沿いの道路からは、沈んでゆく夕日がとてもきれいで…。
思わず、途中で車を停めて、写真を撮りました。 
三日間、雨に降られず、おかげさまで体調も崩さず、存分に陶磁器まつりや、やきものの里を堪能できて、本当に感謝です。 



長崎空港の展望台から、沈む寸前の美しい空を見ることができました。
クリスマス前だったので、イルミネーションもきれいにされていました。 


20:40発の便を待つ間、空港で夜ごはん。
やっぱり、締めはちゃんぽん。おいしゅうございました。 

中部空港から浜松までは、エアポートバス。家に着いたのは夜中でした。

三日間、早朝から夜まで、よく動きました(;^ω^) 
疲れたけれど、興味のある場所を、同じ趣味の友達と一緒に巡るのは楽しいひとときでした。 



三日間で、結局、これだけのやきものをお嫁に迎えました。
けっこう、ありますねぇ…(笑) 

旅を思い返しながら、日々の暮らしの中で使っていきたいと思います。 

2020年1月19日日曜日

長崎・佐賀旅行⑨ 波佐見

長崎・佐賀旅行記を続けています。

ハウステンボス編はこちら。



長崎・佐賀旅行 有田編(その4)
長崎・佐賀旅行 有田編(その5)
長崎・佐賀旅行 有田編(その6)
長崎・佐賀旅行 有田編(その7)

長崎・佐賀旅行 大川内山編(その8)


大川内山のあとは、「有田ポーセリンパークのんのこの郷」へ向かいました。
車で約30分。途中、昨日歩いた泉山磁石場や有田の町中を通りました。
今日も平日なので、人通りは昨日と同じくらい。
平日はゆったり見れていいですね。 




ポーセリンパークは、1993年にオープンした器と酒のテーマパーク。
入場は無料です。
写真を撮った磁器のベルが、かわいらしい。スイッチを押すとメロディを奏でます。
陶器のお~きなチェスも迫力あります。 




ここのシンボルは、ドイツ・マイセンの「ツヴィンガー宮殿」(再現)。
バロック建築の最高峰ともいわれています。

奥には広大なバロック庭園が広がっています。 

マイセン市と有田町とは1979年に姉妹都市となり、その交流のシンボルがこのポーセリンパークだとか。
17世紀にオランダの東インド会社によりドイツにも輸入されていた有田焼。 
当時ヨーロッパにはまだ磁器をつくる技術がなく、東洋から渡ってくる見たこともない絵が描かれた白いやきものは、金や宝石と同じ価値で評価され、王侯貴族に熱心に集められました。 

ツヴィンガー宮殿を建てたアウグスト王は、ヨーロッパにおける最大の磁器コレクターで、この宮殿の中には膨大な量の東洋陶磁のコレクションが保管されていました。
現存するものでその数2万、世界最大級のコレクションだそうです。 

有名なマイセン窯(1709年~)は、アウグスト王の命令で磁器製造に取り組み、ヨーロッパ初の磁器を完成させました。
王の趣味で有田の古伊万里や柿右衛門様式の絵柄に似せた物もたくさん作られ、今でもそのデザインは受け継がれています。 

宮殿の右ウイングは美術館になっていますが、今回はパスして、次の目的地・波佐見へと移動します。車で約10分と近いですが、波佐見は長崎県になります。 

波佐見は日常使いの器をつくっていて、年間生産量は全国第3位。
量産のための分業体制も整っています。窯元の数は約90(有田は約150)。 

始めは高価な磁器をつくっていましたが、江戸時代半ばに、日常使いのものへ転換。江戸時代、「さけくらわんか めしくらわんか」という呼び声で、舟の上から食べ物を売る商人が使っていたのが波佐見焼の器で、くらわんか(椀)と呼ばれたそうです。

当時のファストフードのための器です、安く、早く大量に作るために、柄も単純で、力がぬけた感じが特徴です。

波佐見は長崎県ですが、当時は伊万里港から出荷されたので、有田焼、伊万里焼とはお友だちですね。有田焼の中にも含まれていますし。 

日常使いの器づくりは今も変わっておらず、現代のライフスタイルに合ったモダンなものがた~くさん登場しています。
日常使いなので、お値段も有田焼に比べるとリーズナブルで、私は有田焼以上に、波佐見焼を購入してしまうことに…(;'∀') 

波佐見焼のお店へ行く前に、お昼をいただきます。
お友だちが見つけてくれた和食「月光 AKARI」さんへ。
畳の個室というのもうれしかった。 
ガイドブックに載っていた「波佐見焼御膳」を注文♪  





器はすべて波佐見焼。蕎麦猪口は、我が家では使わないので一つもないのですが、こうしてまとめて、お料理をのせると見栄えが良く、かつ、優雅になるんですね~。
ちょっとずついろいろな料理が食べたいという女子の気持ちをわかってらっしゃる! 

どれもおいしくて、個室ということもあってゆっくりと過ごすことができました。 

お昼を食べたあとは、ラストスパート!
波佐見の町自体はこじんまりとしているので、移動時間の無駄はありません。
まずは高台にある「やきもの公園(世界の窯公園)」へ。  





古代から近世にかけての、世界を代表する窯12基を再現した、世界でも珍しい野外博物館で、ここも、想像した以上にすばらしい感動がありましたよ!! 

やきもの公園の向かいには、「波佐見町陶芸の館観光交流センター」があり、一階が波佐見焼を中心とした地元の物産品の販売、二階が資料館になっています。
見た感じは町役場的な、普通の建物ですが、波佐見町内にある35のメーカーの波佐見焼が販売されていて、とにかく奥まで、波佐見焼が所狭しと並んでいて、それはそれは圧巻。

私たちのように時間がなくて一つ一つの窯を見て回れない人にとっては、何よりもうれしい場所。
おわん、大皿など、種類別に分かれているのもよかった! 

お友だちも私も、じっくり見て、いくつかをお嫁に向かえました。
波佐見焼はとにかく普段の生活で使えるものが多くて安いので、つい、財布のひもも緩んでしまいます。 

私は雑貨が好きで、雑貨屋さん巡りをよくするのですが、雑貨屋さんに必ずといっていいほど並んでいるのが、波佐見の「白山陶器」の器です。

”BLOOM”という瑠璃色の手描きの花模様の器が大人気なんですよね(私も1枚、持っています)。このブルーム・シリーズは去年、発売10周年を迎えたそうです。 

せっかく波佐見に来たので、白山陶器本社ショールームに立ち寄りました。 



白山陶器の商品がずらりと並んでいて…しかも私好みのものが…(^^ゞ 
おまけに本社来店価格(割引)…。これは買いでしょう! 



左の2枚は観光交流センターで買ったもの。それ以外の4枚が白山陶器で購入したもの。
このくらいの大きさで、平べったくなくてある程度の深さのあるものが、私にとっては使い勝手がいいようです。 

 

家に帰ってから、波佐見焼きのお皿に、お土産で買った「ひしぼうろ」をのせてみました。かわいくないですか?? 
ひしぼうろは、菱を使ったお菓子。菱の皮にはポリフェノールがたっぷり含まれていて、佐賀の神埼市の特産である和菱を使った商品開発プロジェクトで誕生したものだそうです!

これが、軽くて、甘すぎず、おいしかったんです。
今回買ったお菓子の中で、一番のお気に入り。
おすすめですよ!また食べたいなあ…。 

 (つづく)

2020年1月17日金曜日

長崎・佐賀旅行⑧ 大川内山

長崎・佐賀旅行記を続けています。

ハウステンボス編はこちら。



長崎・佐賀旅行 有田編(その4)
長崎・佐賀旅行 有田編(その5)
長崎・佐賀旅行 有田編(その6)
長崎・佐賀旅行 有田編(その7)

有田から伊万里へと移動しました。

2019年11月21日(水) 
佐賀旅行の最終日。
今日の夜、長崎空港から帰ります。 
昨日は朝早かったですが、今日はゆっくりと起床。
伊万里の秘窯の里「大川内山(おおかわちやま)」へ向かいました。 


 運転していて目に付いたのが、横断歩道の脇に立っている、小学生人形。
けっこうあちこちにありました。 

 
昭和的な、ちょっと怖い感じもするお顔立ち(笑) 


 伊万里市内から大川内山までは車で15分ほど。山の方へと入っていきます。

伊万里は有田焼の輸出港として栄え、有田焼が伊万里焼とも呼ばれたのはそのため。
もちろん、伊万里でもやきものが発展しました。 

大川内山は「鍋島」が焼かれた拠点でした。
この”鍋島”、そんじょそこらの焼き物とは違っていました。

徳川家への献上品だったんです。
佐賀藩(当主鍋島氏の名前から鍋島藩ともよばれる)は、日本で唯一の磁器生産地を持った藩で、有田の優秀な陶工を集めて藩直営の窯を築き、城内の調度品、そして、献上・贈答用の磁器を焼かせました。 

陶工達は、その後廃藩となる明治4年までこの大川内山で活動を行っていました。
佐賀藩は、製法の秘密がもれないよう、職人を山奥に囲い、門外不出として徹底駅に管理したので、一般の市場には出回ることはなかったそうです。
職人は純粋に技術を追求。
手間暇を惜しまない、超絶技巧は、献上品だからこそできたんですね。 


大川内山に向かう途中にかけられた橋の欄干にも鍋島焼がふんだんに使われていました。 
この淡いブルーは「鍋島青磁」。

「色鍋島」「鍋島染付」「鍋島青磁」という3つの技法がある鍋島焼。
鍋島青磁は、この大川内山でとれる原石を使っています。
天然の青磁は、扱いが難しく、完成までに手間暇がかかり、量産が難しいそうです。 
この上品な、淡い、何とも言えない魅力的な青磁のお皿を、あとで私は買うことになるのです…(;^ω^) 



駐車場のところにかかっていた橋はこんなに豪華!! 


 
電話ボックスの案内と取っ手にも伊万里焼。 


大川内山の地図も、伊万里焼。
すごく大きな地図なので、これを作るのも大変だったのではないかと思います。 
大川内山一帯は「大川内鍋島窯跡」として国の史跡指定を受けているとか。  


道案内も伊万里焼。  





10時前で、それほど早い時間ではなかったのですが、観光客はほんの数人。
静かな、朝のりんとした空気の秋の大川内山を味わえました♪ 


人がいないので、この有名なフォトスポットも、好きなだけ撮影し放題(笑) 





 
お店がほぼ、開いていなくて…。開く時間まで、することがないので、ふだんなら上らない山の上までものぼってみました(笑) 

鍋島藩の管理する藩窯(はんよう)があったところが、「鍋島藩窯公園」として整備されています。
ここ、それほど期待していなかったんですが(ごめんなさい)、のぼってよかった!!景色がバツグンにいいんです(≧▽≦)  









とにかく紅葉がきれいで…(*'ω'*) 



散策路もきれいに、しっかり整備してあって、とても満足したお散歩ができました!おすすめ! 


 
帰り道はだいぶお店も開き始めました。
藩がなくなった後も、鍋島を踏襲した伊万里焼を作る窯は残り、現在20以上の窯があるようです。

上の写真のように、窯を上手に利用したディスプレイのところもあったし、お店ごとに特徴ある伊万里焼を作っているので、見て回るだけでもすごくおもしろかったです。 
昨日だけで、思ったより焼き物を買ってしまっていたので、もうやめよう、と思っていたのに、やっぱり、何点か、買ってしまいました(;^ω^) 
といっても2枚ですが!!(がんばって我慢しました!) 

 (つづく)