三方原学園内に位置する「千人塚古墳群」について、現地で解説してもらうという企画。
大都市圏では緊急事態宣言が発令され、コロナへの緊張感が高まっている中、
開催すべきか悩まれたそうですが、屋外でのイベントであり、参加人数も少ないということで、開催が実現しました(とはいえ時間は短くなりました(;_:))。
実際に、風がびゅうびゅう吹きすさぶさむ~い中で、みなさん距離を取って聞いていたので、問題はなかったです。
千人塚古墳群のことはまったく知らず(灯台下暗し?)、我が家からそう遠くない場所にあったことも驚きでした。
ここは三方原台地で、古墳群は台地の東のへりに集中して作られていました。
南北7キロにわたって、160基あまりの古墳群があったそうです。
もちろん年代差はあり、古墳時代中期~終末期にまで及び、200年ほどの間、ずっと、古墳が造られていたとのこと。
開発によって現在は81基を数える程度になってしまいましたが、この一大古墳群を「三方原古墳群」と呼んでいるそうです。
その古墳群の中心となるのが今回訪れた「千人塚古墳群」です。
時代的には、400年代後半~500年代。
学校の敷地中にあるので、一般公開はされていません。
なので、このような企画は本当にありがたいです。
文化財課の方が来て、古墳を一つずつ、解説してくださいました。
1号墳から9号墳まで。番号は、発見された順にふられただけだそうです。
瓢箪塚古墳という名前で、瓢箪(ひょうたん)のような形をしているところからの命名。
前方後円墳です。
前方部が一部通路のため削り取られていますが、元の全長は45m。
後円部から当時の棺が出土されたそうです。
何百メートルもある大きな古墳って、実際に訪れて歩いても、全体の様子がわからないので、ただ森や丘を歩いている感じなんですよね。
このくらい小規模だと、全体がよくわかります。
おお~~~と、わかる古墳らしい古墳ですよね。
これは円墳で、浜松市の中では一番大きい円墳だとのこと。
埋葬主体は2人だとか。
直径約50m、高さ約6m。
古墳は二段になっていて、一段目と二段目の踊り場には、埴輪がずら~~っと並べられていたとか。
その様子を妄想・・・・(≧▽≦)
え!!今も埴輪のかけらが転がっているなんて!と、参加者みんな、びっくりです。
「これは?」「それは違います」「これは?」「それは埴輪ですね」と、みなさん目を皿のようにして埴輪のかけら探し(^^;
もちろん、土地の所有者のものですので、勝手に持ってかえれません。
模様とか、けずったあとがよくわかります。
発見された時はすでに盗掘にあっていたそうですが、それでも出土品はあり、博物館に展示されているそうです。
そうそう、この間、博物館に行ってきたんですよ!!
あの時の展示品はここのだったんですね(説明文を読んでもすぐに忘れてしまう・・・(^▽^;)
てっぺんの石碑は、第二次世界大戦時に建てられたようです。
大戦中は、防空壕として穴が掘られたそうです(古墳はこのようにこんもりしていて掘りやすそうですものね・(笑))
葬られた首長からすると、支配した土地を見渡せる高い場所に葬られたというわけで、すごく納得がいきます。
建物や木々で全然わかりませんでしたが、確かに、見晴らしがよく、ここが台地なんだということを実感しました(;^ω^)
この4号墳からは、銅製の鏡(周りに鈴がついた珍しい七鈴鏡)が出土されています。
これは、覚えています、博物館に展示されていました!
始まる前から雲行きがあやしかったのが、途中で空が暗くなって雨が降ってきてしまいました。でも少ししたら晴れ間が。
詳しく調査がされたのは昭和23年(1948年)とのことで、その当時は確認されたものの、現在は消滅していて、見た目にここに古墳があったということがわからない古墳も、地図を見ながら教えていただきました。
1時間あまりの短い時間でしたが、実際に古墳をこの目で見て、触れることができ、本当に有意義な時間でした。
実は私、古墳時代を背景にした物語を書いていまして・・・本を読んでも漠然としかわからなかったことがわかり、質問もさせていただいて、だいぶクリアになってきました。
ありがとうございます!古墳のかたちは一つではなく、円墳、方墳、前方後円墳、前方後方墳など、いろいろあるのが、このマステからもわかります~。
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マニアックな商品ですが(^-^;
きっと私のように、古墳好きの方はたくさんいらっしゃるのでは~~~????と、勝手に想像しています♪