私はヨークシャーテリア(♀)を長く飼っています。名前は「リトル」といいます。
数年前にリトルのことを日記に書きました。
そのリトルが老衰のため、2月19日に虹の橋を渡りました。17歳半。
白内障で目が見えず、耳も聞こえなくなっていましたが、ヨロヨロとではありますが歩いてはいましたし、ごはんも少しですが食べていました。
それが17日からでしょうか、水もごはんも食べなくなり、食べないと死んでしまう!と無理やり食べさせようとしてもがんとして受け付けず。
立ち上がろうとするけれどもう筋力がなくなって横になった状態でした。
19日の夜に私と主人が抱っこして足をさすったり頭をなでたりすると目を閉じて腕の中で寝ていました。おしっこで少し濡れたので身体もきれいに洗ってあげました。また明日ね、とベッドに寝かせて翌朝、先に起きた主人が見た時にはもう冷たくなっていたそうです。眠りの中で苦しまずに逝ったのだと信じています。
うちは子どもが一人っ子なので、寂しいだろうと飼い始めた、初めてのワンコがリトルでした。
私も主人もペットを飼ったことがないので、ペットショップの人に聞いたり、動物病院の先生に聞いたりして、すべて学習しながらの育児でした。
お手とお代わりぐらいしかできなくて芸達者じゃなかったけれど、噛みついたりせず、大きな音が嫌いなおだやかな性格でした。
女の子ということもあってか、2キロ程度しかなく、ネコのような感じでした(^^;
動物保険に入りそびれ、大きな病気をしたらどうしよう、お金かかるよね、と心配していましたが、大きな病気にかかることもなく、静かに息を引き取った、親孝行の娘でした。
家に来た時から浄活水器”のあな”のお水を飲んで育ったおかげで健康的に生きられたのかな、とも思っています。
もちろん、太らせないように、とか、毎日運動させるように、とか、人と同じように気を使ってはいましたがやはり一番は水かなと。
17歳半というと、人間では87歳くらいでしょうか。
本当にがんばってくれました。
年齢がいってからは、いずれはいなくなってしまうことは想像していました。考えるだけで涙が出るほどでしたが、亡くなってしまった今は喪失感たるや、行き場がなくて何もする気がおきません。
しばらく大声で泣いてしまうと落ち着き、また思い出しては泣く、を繰り返している状態です。
こみあげてくるのは、家に帰ってきて部屋の中が静まりかえっているあのこわいほどの無音です。年を取ってからのリトルは寝ている時間が多くて、帰ってきても耳が遠くなって相変わらず寝ている状態でしたが、もう、そこにいるはずのリトルがいないという事実が、”無音”で迫ってくるのがたまらない痛みです。
何をしてくれるわけでもないけれど、そこにいつもいてくれる、ただそれだけで日々の安心が得られていたのだと気づきました。
心に穴が開く、という言葉がぴったりかもしれません。大切な人を失くした行き場のない悲しみが穴になってしまう・・・きっとこの穴は閉じなくて、感謝という思いでオブラートとして包んでいくしかないのかもしれません。
もうペットはリトルで最初で最後。私たちもいつまで元気でいられるかわからないので・・・
この痛みをやわらげてくれるのは”時間”しかないのでしょう。無理に忘れようとしないで、一緒に過ごした長い時間を思い出に、泣いてもまた顔をあげて歩いていくしかないですね。
出会えたことに感謝して、リトルに胸を張って精一杯生きたよ、と言える人生を生きていきます。
リトル、ありがとう。お疲れ様でした。心配しないで、天国で元気に走り回ってね。
私は写真を撮るのが好きなのでリトルの写真をここに感謝とともにまとめました。
プロのカメラマンに撮ってもらった写真もあります。撮ってもらってよかったです。古い写真を整理したら、1歳になってないリトルがうちに来たばかりの、動画も見つかりました。撮っておいてよかったです(忘れていたけど)。
写真整理してまとめるのは悲しみがまぎれました。生きているリトルを見ていると笑顔になれました。大きく引き伸ばして飾ろうと、大判プリントも申し込みました。リトルをモデルにしたお話も書こうかな。私にできることをちょっとずつ・・・。
ペットを亡くしたことのある方々から、優しい言葉をいただきました。嬉しくて泣いてしまいました。
「いなくなったのではなく、永遠にそばにいてくれることになったのですよ。もう出張の時、旅の時、置いていってごめんねじゃなく、これからはさぁお出掛けだよ...です...ね」
「老衰で愛犬が亡くなるというのは、大事に大事にされていた証拠と言われました。愛されて、大事に犬生を送ったワンちゃんだったと伝わります」
「亡くなったあと、しばらくああしてあげれば良かったとか思うかもしれませんが、ちゃんと看取り、長生きして幸せだったのではないでしょうか」
みなさん、ありがとうございます。