その前に、撮影のみですが、ウォールデン湖に立ち寄ってもらいました。
ヘンリー・デーヴィッド・ソローの著書『ウォールデン 森の生活』の舞台です。
日本語では湖となっていますが、英語ではウォールデン・ポンド、池ですね。
でも、実際に見ると、池にしては大きいので湖、でいいのかな。
実は『森の生活』は、ずっと前に読もうとはしたのですが、早い段階で挫折してしまいました…((+_+)) 面白さが感じられなくて…。
参加者さんのお一人が『森の生活』を持参されていました。その方もやはり最初が面白くなくて、ぱらぱらっと読み飛ばしたら、三章から面白く読めた、とおっしゃっていました。
せっかくこのツアーで舞台を見たので、今度こそ、読んでみようかと思います。
「フルートランド・ミュージアム」は、英語で書くとFruitlands Museum、そうフルーツの土地、です。
言葉はいいですが、現実には寒村で、フルーツがたわわに実るような豊かな場所にしようという”理想”を持ってオルコット一家はここで暮らし始めます。
1843年、ルイザはまだ10歳でした。
なぜこんなところに開拓者精神で住もうかと思ったのか。
先の日記に書いた「超越主義(トランセンデンタリズム)」が関係しています。
ルイザの父エイモスは、エマーソンやソローらが中心となって提唱した、新しい「超越主義哲学」に共感し仲間になりました。
(ボストンの知識階級の間にも熱狂的に広まったんだそうです)
超越主義とは、超簡単に言うと理想主義運動、ロマン主義運動です。
暗くて、ガチガチに禁欲を貫くピューリタンや、理性的で冷たいユニたリアン教などに対抗し、明るい面を見て理想を追おうよ、と考えたようです。
神・自然との交流や、個人の無限の可能性といったものを追求、退屈で煩雑な日常を”超越”して、直感による真理をつかもうとした……ネットで調べれば調べるほどわからなくなる…(;'∀')
つまりは、自然と一体になって直感を研ぎ澄まし、身体や心で神を感じることこそ大事、ってことでしょうか(ざっくり)。
緑も多くて、天気もよくて、理想郷にふさわしい場所に見えますが、暮らすのは大変だったようです。
オルコット一家は、超越主義の人びととここで実験的に、共同で菜食主義の生活をして、着るもの、履くものも動物性由来のものは使わないなど、徹底していたそうです。
そうした暮らしは、一年で挫折します。
ルイザはここの冬の寒さで体をこわしました。
ルイザの父たちよりも2年早い1841年に、やはり超越主義者たちが「ブルック・ファーム」という理想主義共同生活団農場をつくっていて、ナサニエル・ホーソーンがそこに参加しています。
それを知ってルイザの父も、続いたのでしょうか。
ルイザの父はブルック・ファームを見学に行っています。
ブルック・ファームは1846年には財政難から崩壊。ルイザの父が1年で挫折したのに比べると続いたほうですが、理想郷を作るって、現実にはとても難しいですよね。
実際、ルイザの父も、理想は高いものの、経済的には家族を養っていけなかったわけですから、つきあわされた家族(特に小さかったルイザたち娘)は、つらかっただろうな、と感じます。
超越主義者は、世の中から隔離されたユートピアを求めたり、社会から独立した個人の創造性を強調する傾向も強かったみたいで、ルイザたち家族は父の理想や哲学にふりまわされたともいえるでしょう。
エマーソンはこの実験生活がうまくいかないと最初からわかっていて忠告したようですが、ルイザの父はそれを振り切って実行したのでした。
現在は、シェーカー教徒や、ネイティブ・アメリカンの暮らし、オルコット一家の暮らしなどがわかる、歴史博物館になっています。
オルコット一家が暮らした農場の母屋は、下っていった、一番奥にあります。
このタイトルは”若気のあやまち”という意味を含んでいるらしいです。
ルイザはここフルートランズでの「質素な生活と高度な思考」の実験生活で経験したことを書いています(これ、邦訳はされていないですよね?)。
絵が上手なメイ(ルイザの妹)が使っていた水彩道具。
オルコット一家の様子や、当時の暮らしぶりがよくわかる、さすが!の展示内容でした。
中の展示を見ていて、ふと、そういえば、明日訪ねることになっているターシャ・テューダーさんはまさに、オルコット一家がここに住んでいたのとほぼ同じ時代の、こういう生活を現代で実践していたんだよな~~と、感慨深く、ある意味尊敬の念を持ったのでした。
「オーチャード・ハウス」でご案内くださった喜久子さんから、現在やっている特別展に、普段見られないオルコット一家の展示品がありますから、ぜひ見てきてください、とご案内をいただきました。
特別展は、このフルートランズ・ミュージアムの設立者(土地の所有者)クララ・エンディコット・シアーズ(1863~1960:作家で、歴史的遺産や自然環境の保護者)の業績や、彼女が長年コレクションしたもの(普段は公開していない)を展示しています。
このミュージアムは女性が作ったものなんですね。
一般公開は1914年から。
(オルコットのオーチャード・ハウスの公開は1912年ですからその2年後ですね)
シェーカー・ミュージアムは1919年、ネイティブ・アメリカン・ミュージアムは1929年、アートギャラリーは1939年にオープンさせています。
クララは20世紀初頭より、19世紀のほうが”more picturesque(より人目をひく、おもしろい、絵のように美しい)"な時期だったと語っていたそうです。
ちょっと調べたら、クララは、ボストンのビーコン通り132番地で育ち、近所に住んでいたイザベラ・スチュアート・ガーデナーとも仲がよかったとか!!
ボストン美術館のそばに「イザベラ・スチュアート美術館」がありますが、その設立者ですね。
自分のコレクションしたものを美術館にしたイザベラと同様、クララのこれらのコレクションもまた素晴らしいもの(目利きだった)ということを、この特別展では伝えているようです。
オルコット一家関係のものがここ。ブロンソンとウィリアム・ハリスの写真、ラルフ・ウォルド・エマーソンの胸像、オルコット姉妹の写真、ルイザとアンナ(姉)の髪の毛、母がフルートランドで編んだメイの靴下(コットンと麻。動物由来のものは使わなかったので)、コンコード哲学学校の講義券、南北戦争の兵士からルイザがもらったコイン、ヘンリー・デーヴィッド・ソローが作った鉛筆。
喜久子さんも初めて見たものがあったとのことで、とても貴重なものを見る機会を得て、本当に私たちのツアーは幸運でした!
旅行記はその6へつづく