いつもなら混雑する東海道線ですが、コロナの影響もあるのか、乗客は少なく、距離を取って座っていくことができました。
もちろん、みんなマスク着用。
目的は、静岡市美術館で開催中の『ショパン展』。
美術館はビルの3階にあるのですが、エレベーターの扉にも、展覧会の告知がしてあります。
私は幼稚園の時にピアノを習っていたのですが、先生の言葉から、子どもながらに自分は下手なんだとわかり、すぐにやめてしまいました(-_-;)
そんなトラウマもあるのか、音楽の授業の成績も悪くて、音楽というのもにものすごい劣等感があります。
なので、以前『タータン展』でお世話になった方が、このショパン展に関わっておられなければ、観に来なかったと思います(;^_^A
音楽音痴ですから、ショパンのこともよく知らないので(有名な曲は聞いたことはあっても曲名までは覚えておらず…)、展覧会は何から何まで新鮮でした(笑)
ショパンが生まれたポーランドは興味の範囲からはずれていて、ポーランドという国の成り立ちも知らなかったので、ポーランドが領土(国境線)をめぐって戦いを繰り返していたことを学びました。
ショパン(1810~1849)が生きた時代は、他国に干渉され、戦争をし、分割されたり独立したりと、めまぐるしく政情が変わった激動の時代だったんですね。
神童・ショパンはすでに幼い頃からピアニスト・作曲家として活躍。演奏家としてヨーロッパのあちこちを回っていました。
亡くなる前年には、イギリスを訪れ(演奏会を企画したのはスコットランド人の弟子スターリングとその姉)、ヴィクトリア女王とアルバート公の御前で演奏も果たしました。
この時、ショパンはすでに病気で弱っていて、イギリスの悪天候と、英語が話せないのに連れまわされた社交界にさらに病状が悪化したそうで、死期を早めた原因ともいわれています。
スコットランドでショパンが滞在した家はまだ残っているようで、イギリスと関連があるとわかるとがぜん、興味が湧いてくる……。
ショパン展の目玉は、日本初公開となるショパンの友人にあてた自筆手紙と、自筆譜。
どちらも劣化を防ぐために暗い一角に展示されていました。
また、ショパンの肖像画の中でも特に有名な作品のひとつ、本展のチラシ(上の写真のエレベーターにも描かれている)にも使用されたアリ・シェフェール作「フリデリク・ショパンの肖像」も日本初公開だそうです。
亡くなる2年前に描かれ、ショパン自身も気に入っていた絵だとか。
ショパンは祖国ポーランドを愛していましたが、後半生の大部分はフランスで暮らしました。フランスでは、知人を介して知り合った女性作家ジョルジュ・サンドとの恋愛が有名だそうです。
サンドは知人の恋人だった人ですが、離婚歴と二人の子持ち。でも、恋愛する男性が次々と現れ、ショパンもその一人になるわけです。
10年近くつきあったのち破局。
そして、39歳という若さで亡くなってしまいます。
サンドとの恋愛も、ショパンの命を縮めたとも言われているようです…。
サンドは72歳まで生きたんですねぇ…。恋多き女は強いのかな(^-^;
本展ではショパンの人生や作品だけでなく、ショパンが生きた時代のワルシャワとパリの芸術作品も展示されていて、見ごたえがありました。
ショパンの曲がもっと大きな音で流れていたらよかったのでは、と思うけれど、会場の都合で難しいのかな。
近ければミュージアムコンサートに来るのだけど…。ちょっと遠い…( ;∀;)
同じ静岡県内とはいえ、浜松から静岡は、新幹線で2駅、鈍行で1時間10分かかります…。
ショパン展、この静岡会場が日本での最後の展示のようです。
帰宅後、クラシック名曲集のDVDから、ショパンの曲を選んで聴いてみました。
今度はショパンをモデルにした映画も観てみようと思います♪