この建物を建築したのは日本人ではなく、アメリカ人のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)です。
キリスト教伝道師として日本に来日し、滋賀県近江八幡の商業学校で英語教師として働いたあと、建築事務所を開設し、日本各地にすばらしい建物を残しました。
洋館好きの私、近江八幡も訪れ、ヴィーリズ建築の建物をいくつか見てきた思い出があります。
ヴォーリズはこの静岡英和女学校の宣教師館を建てる前に、校舎を設計していました。
白いモルタルの壁に赤い屋根というスパニッシュ様式を取り入れた建物だったそうですが、残念ながら、静岡大空襲で破壊されました(;O;)
でも、この宣教師館にはその面影を見ることができます。
というのも、ヴォーリズ建築特有のスパニッシュ様式がここにも取り入れられているからです。
和風素材を融合したおもしろいつくりです。
入り口はレンガを使っているのに和風。
入り口を入ると・・・白いモルタルの壁の洋館が。屋根は赤ではないけれど、オレンジっぽい瓦。
ゴテゴテしていない、すっきりとした、住むための実用性が感じられますね。
日本の風土に合うというか。ヴォーリズ建築が日本人に好まれるのもうなづける感じ。
静岡市にはもうひとつ、ヴォーリズが建築した建物がありまして、それが「旧マッケンジー邸」です。こちらも有形文化財。
もちろん、私、ここにも以前、行きました!現在、博物館です。
日本茶の貿易商ダンカン・マッケンジー夫妻が住んだ家で、こちらもスパニッシュ様式。
建てられたのは、宣教師館よりも前の、1940年です。
個人の商人のお宅ということで、少し華やかさがあるような・・・。
スパニッシュ様式のことはよくわからないですが(^^;
共通点があるのはよくわかります。
ヴォーリズは、華族の令嬢・一柳満喜子(ひとつやなぎまきこ)と、1919年に結婚。
華族で外国人と結婚したのはこの満喜子さんが初めてだそうで、ひと悶着あったようです。満喜子が平民になることで決着したとか。
そして・・・これまた朝ドラと関係があるのですが。『あさが来た』のモデルとなった広岡浅子が、二人の結婚を後押ししたというのです。
満喜子の兄・恵三は、浅子の娘婿で、恵三が自宅設計に設計者としてヴォーリズを招いたことで、満喜子とヴォーリズは出会うわけです。
アメリカに留学経験のある満喜子がその通訳をしたからですが、兄の子どもたち(浅子の孫)の家庭教師をしていたこともあって浅子とも懇意にしていたそうです。
『あさが来た』では、満喜子もヴォーリズも出てこなくてすごく残念でした。
ヴォーリズと満喜子のことは、『マッサン』のある意味逆バージョンともいえるし、社会貢献も大いにした方々なので、ぜひ朝ドラに取り上げてもっと多くの人に知ってもらえたらいいなと思うのですが。
今回もまた長くなってしまいました(^^;
いよいよ次回は、アリスのお茶会の様子です♪