2022年6月25日土曜日

近江八幡探訪その7(最終回) 五箇荘

近江八幡探訪日記はつづきます。

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ランチの予約時間まで1時間ほど空き時間があり、お友だちが五箇荘に連れていってくれました。


五箇荘は、近江八幡、日野とともに、近江商人発祥の地として知られています。

五箇荘の金堂地区は、近江商人の本宅と農家集落が一体となった歴史的な街並みが残る地域。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

幕末から明治、大正、昭和戦前期にかけて、多くの商人を輩出しました。
1880年(明治13年)には、金堂地区の全戸数の3分の1にあたる67戸が、呉服・太物などの繊維製品を扱う商業に従事し、うち13戸は県外に出店を有していたそうです。

商人たちは豪商へ出世しても、決して郷里を離れず、金堂に本宅を築きました。
それら商人本宅の、広大な敷地、板塀や石塀、お金をかけた切り妻や入母屋造り、数寄屋風の母屋、離れ、土蔵、納屋など、そして大きな日本庭園も、見どころとなっています。







電柱は地中に埋めて、なくしてほしいですね・・・。せっかくの景観が台無し・・・。















鯉が泳ぐ水路。












時間がないのでお家の中までは見学できませんでしたが、ぐるっと町並みを楽しみました。

はじめは行商からスタートした近江商人。やがて船や牛、馬を使って大規模な卸売りを行うように。

特徴的なのは、ただ産物を他の地域で商うだけでなく、各地域の産物を仕入れ、よく売れる地域で売る、という「諸国産物廻し」だったそうです。

売り手によし 買い手によし 世間によし 三方よし

近江商人の商いの精神を端的に表すとこうなるそうです。

勤勉 倹約 正直 堅実 

これをモットーにした近江商人、成功した理由がわかりますね。

ヴォーリズが近江を愛していたのもこうした精神が息づいていたことも理由かもしれません。それに、近江商人のモットーは、キリスト教の精神に基づいたヴォーリズの精神でもあったので、ヴォーリズも成功した近江商人といえるでしょう。

これで、私の近江八幡旅日記はおしまいです。
和と洋がうまく融合した、素敵な町でした。また訪ねたいところです。

コロナ禍で海外旅行ができないぶん、国内旅行が楽しめ、日本のよいところを再発見しています。

7月は、北海道ツアーがあります。みなさんと楽しんできます(^^)/

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