紅茶をテーマに動くようになって、茶器をはじめとする焼き物にも目が向くようになりました。
先月、愛知県尾張旭市で開かれた「尾張旭紅茶フェスティバル」のお手伝いをさせていただく際、一泊して、以前から行ってみたかった、焼き物の町・瀬戸市の観光もしてきましたよ。
浜松から、新幹線は使わず、JRの快速と愛知環状鉄道(今回初めて乗りました)を乗り継いで約3時間。
橋の欄干も磁器、神社の鳥居にも磁器が使われていました。さすが、焼き物の町です。
有名な、焼き物の散歩道である「窯垣の小径」へ行ってみました。
この小径は、以前窯元の住居が密集し、それらをつないでいた約400mの細い路地。
焼き物を運ぶ荷車や、天秤棒を担ぐ人たちが往来していた道だといいます。
”窯垣”というのは、焼き物を焼成する際に、窯の中で、器に灰がかぶらないよう保護したり、より多くの焼き物を効率よく摘んだり並べたりするための棚をつくるのに使われた板や柱(窯道具といい、タナイタ、エンゴロ、ツクなどと呼ばれる)を利用してつくった塀や壁のこと。よーく見ると、塀や壁のあちこちに、そうした窯道具を発見します。
上の写真は、デザイン的に美しく磁器のボタン(タイル?)を配した壁。一つ一つの磁器が違っていて、それらを眺めるだけでも楽しい。
窯垣の小径には、ギャラリーや資料館などもあり、車は来ないし、静かだし、気持ちのいい散歩道です。
「窯垣の小径資料館」は、窯元の家をそのまま生かす形で改修されたもので、一休み場所としても最適。無料というのもうれしい。昔の様子を知るビデオを見たりして、瀬戸焼のことを知ることができました。
磁器というのは新技術で、江戸中期以降に入ってきたもの。それ以前は、陶器でした。
なので、磁器が焼かれる前のもともと作られていた陶器を「本業焼」といい、磁器は「新製焼」と呼んで区別したのだそうです。
もともとの陶器(本業)と、新製(磁器)とが融合して、日本初のタイルが作られたのですが、それを「本業タイル」といいます。
陶器の表面の粗さを覆うために、磁器の土を使って表面を化粧し、銅版転写の技術を使って美しいタイルが誕生したのです。
この本業タイルは昭和になって、硬質陶器タイルや磁器タイルにとってかわり、衰退したそうです。
窯垣の小径資料館には、当時のままの、本業タイルの浴室とトイレが残っています。これは見事!
お昼の時間だったので、資料館の方にどこかいいお店はないかとお尋ねすると、「瀬戸本業窯」の横にカフェがあるとのこと。
行ったのが土曜日だったので、ちょうどカフェが開いている日でした、ラッキー。ということで、その「窯横カフェ」でランチ。
窯で働いていた人たちが食べていたという炊き込みご飯。おいしい!
窯横、という名前がつくぐらいですから、もちろん使っている食器は、「瀬戸本業窯」のもの。
岡崎市の宮ザキ園さんの紅茶がメニューにあったので頼みましたよ。ランチにつく紅茶はカップですが、単品で頼むと、ティーポットで出してくれるそうです。そのティーポットも本業窯のものだというので、お願いして見せていただきましたよ。
本業窯とは、伝統的な陶器を焼く登り窯のことで、1970年代まで使われていた登窯が残されています。
ここでは、昔から伝わる製法で土づくりを行い(100%瀬戸の土だそうです)、天然の灰で釉薬を独自に調合して、ロクロやタタラの技術で、実用食器を作り続けています。
昔と同じように分業制を守り、それぞれが質の高い伝統技術を守り続けているのだとか。
民藝運動の柳宗悦やバーナード・リーチもここを訪れ、見事な手仕事を絶賛したそうです。本業窯の代名詞はあの有名な「馬の目皿」。
説明を聞けば聞くほど(本業窯のギャラリーで、奥様が丁寧に説明をしてくれました)、見れば見るほど、いいなあ~と、ためいきが出るすばらしい食器ばかりでした。
こうした伝統的なものばかりでなく、作家さんが作る新しい瀬戸焼もいろいろあります。
駅に帰る道すがら、商店街でそれらも眺めて目を楽しませてもらいましたが、やっぱり瀬戸が一番賑わうのは、9月の瀬戸もの祭りの時だそうです。いつか行きたいなあ。