2019年6月25日火曜日

ニューイングランドツアー日記 その3オーチャードハウス


 
若草物語』の作者ルイザ・メイ・オルコットが住んだ「オーチャード・ハウス」のつづきです。


『若草物語』は、ルイザ自身の家族を描いた自伝的お話だということはあまりにも有名ですね。

オーチャード・ハウスでの暮らしも物語の基となっています。
ルイザ自身、4人姉妹で、ルイザはというと、物語のおてんばな次女ジョーです。
ジョーのようにルイザも自分の感情をコントロールできないことが悩みだったとか。

オーチャード・ハウスのソファには、「ごきげんうかがいクッション」が置かれていました。
長方形のクッションが縦に置かれていたらルイザの機嫌がよいことを示しているのだとか。 

聡明で優しい母もそのまま(物語以上にすばらしい母だった、とルイザ)。

家の中で劇を演じて楽しんだことも、ピアノが上手で内気なべスも、絵が得意な末っ子エイミーも、ルイザの家族や生活がそのまま投影されています。 

べスのモデルとなった妹エリザベスは、オーチャード・ハウスに引っ越す直前に猩紅熱のため、23歳の若さで亡くなってしまいました。
でも、オーチャード・ハウスには、エリザベスのピアノがあり、肖像画も飾ってあります。 

ルイザは1867年に、編集者から女の子のための本を書いてほしいと依頼され、自分の姉妹以外知っている女の子はほとんどいないからと、自分が体験した時代と、自身の家族を物語にしあげました。

物語がこびているところや気をてらっているところがなく、生き生きとしているのはそのためでしょう。

時代背景はかなり古いですが、今読んでもおもしろいんですよね。 

エイミーとして描かれた妹のメイは、作家として成功して得たルイザのお金で、絵の勉強をしにヨーロッパへ行かせてもらいました。

『若草物語』の初版の挿絵はメイによるものです。

体調がすぐれないルイザの気分がよくなるようにと、メイはルイザの部屋の壁にきれいな花を描いていますし、暖炉の棚にはフクロウ(知恵の象徴であり、夜更かしするルイザをフクロウに見立てたとも)を描きました(オーチャード・ハウスの内部は撮影が禁止なのでお見せできないのが残念)。 

家族愛が描かれた若草物語。ルイザも、愛する家族のために作品を描き、その収入を惜しげもなく家族のために使ったのでした。
自分の幸せより、家族を大事にしていたのです。 

のちに人手に渡ってしまったオーチャード・ハウス。
しかし、オーチャード・ハウスを博物館にしたいと、作家のハリエット・ルスロップが買い取り、有志が集まって協会が設立され、1912年に博物館として正式にオープンしました。 

オルコット家の偉業を伝えたい、という熱い思いが、今もボランティアとして働く多くの人々の中にも流れています。 

ご縁をえて、ボランティアでオーチャード・ハウスのガイドをされているミルズ喜久子さんに、ご案内をいただくことができました。
楽しそうにオルコット家のお話をしてくださる喜久子さん。
本当にオルコットが好きなんだな~~と、しみじみ感じられ、ツアーの参加者さんも目を輝かせてそのお話を聞かれていました(もちろん、私もです!)。 

オーチャード・ハウスのギフトショップでは、みんな興奮しながらいろいろとお買い物♪ 私は厳選して、厳選して… 


四人姉妹の付箋がかわいい!使うのがもったいない…。
右上のカードは、1915年版『若草物語』の挿画を担当したジェシー・ウィルコックス・スミスの絵。やっぱりいいなあ~。 


 
↑バスに乗る前に、歩いてすぐのところにある、ナサニエル・ホーソーンの家ウェイサイド」を見に行きました(外観だけ見たいとお願いしたの)。

実はホーソーンがこの家に住む前は、オルコット一家が住んでいたのです!
1845~1848年までの三年間、住んでいました。

ルイザはこの家(オルコット一家はヒルサイドと名前をつけていた)で、初めて自分の部屋をもらい、とても喜んでいます。

少女時代、この家での日々が最も幸せな時期だったと言っているほどです。
そんなこの家こそ、『若草物語』の真の舞台ですね。 

実は、『赤毛のアン』の作者モンゴメリも、オルコットが大好きでした。
『赤毛のアン』の原稿を受け入れ出版に応じたのは、実はカナダの出版社ではなく、ボストンの出版社でした。

赤毛のアンが大ヒットし、モンゴメリはボストンの出版社から招待を受け、1910年11月にボストンを訪れているんです。 
その時、モンゴメリは、このオーチャード・ハウス、そしてホーソーンの家(この家かな?別の家かな?)、エマーソンの家にも来ているんです。 

オーチャード・ハウスが博物館としてオープンしたのは1912年ですが、モンゴメリは1910年に訪ねた際、きっと内部も見学していると思います(コネクションを使って…(笑))。

そして、島以外で、私が住みたいと思った唯一の場所がコンコードだと、日記に書いているんです! 
モンゴメリが住みたいとまで思って気に入ったコンコード。
町の中心地(オーチャード・ハウスは町のはずれのほうにある)へ、お昼を取るため、移動です。 

 旅行記はその4へつづく


お問合せは奥田あてに!

こちらからどうぞ(goole form) 。返信はパソコンのフリーアドレスになります。受信拒否設定されていると返信メールが届かないので、数日たっても返信がない場合はお手数ですが設定を変更されるなど、お客様のほうで対処お願いします。
こちらからメールをしないということはございません。
携帯メールを使って送られてこられた方への私の返信がブロックされる例が多発しています。こちらでは対処のしようがありませんので、ご自身の設定を確認お願いします。
メールアドレスの入力ミス(打ち間違い)も過去ございました。再度フォームから入力をしてみていただくのも一案です。


これまで出版していただいた本がどんどん絶版になっています。原料高で増刷もないとのことです。新品でまだ購入できる本をまとめてあります。サインもいたしますのでご希望の方は ↑ からご連絡くださいね。


**インスタグラムやっています。フォローお願いします(^◇^)気軽な投稿はインスタのほうが頻繁です~*** ***フェイスブックはこちら。***

2019年6月24日月曜日

ニューイングランドツアー日記 その2 オーチャードハウス

その1のつづき

2019年6月12日(水) 晴れ 

今日は、『若草物語(原題:Little Women)』の作者ルイザ・メイ・オルコット(1832~1888)をたどる一日です。 

まずは、コンコードにある、オルコット一家が住んだ家「オーチャード・ハウス」へ。 

コンコードは、アメリカ独立戦争の始まる契機となったレキシントン・コンコードの戦い(1775年)があった地として有名だそうですが、もうひとつ、文豪が何人も住んでいたことでも有名です(コンコード派とも呼ばれるらしい)。 

思想家・哲学者・作家・詩人として活躍したラルフ・ワルド・エマーソン、『緋文字』を代表作とする作家ナサニエル・ホーソーン、『ウォールデン森の生活』を書いたヘンリ―・デイヴィッド・ソロー。

そして、『若草物語』を書いたルイザ・メイ・オルコットと、その父エイモス・ブロンソンです。 

オルコット一家が「オーチャード・ハウス」に住んだのは、1858~1877年の約20年で、あちこち転々としたオルコット家が、一番長く腰を落ち着けた家です(といっても娘たちは結婚や仕事で実家を離れましたが)。 

コンコードという町には、その前にも(ルイザが7~10歳の時と、13~16歳の間にも)住んでいました。
オルコット一家とコンコードとの縁は、ルイザの父エイモスがエマーソンと交流があり、エマーソンの勧めがあったからです。 

エマーソンは『自然』(1836年)で、超越主義哲学(transcendantalism(トランセンデンタリズム):超絶主義ともいわれる)を打ち出し、その思想は他の思想家、著述家、詩人などに大きな影響を与えました。

ホーソーン、ソロー、そしてルイザの父も、エマーソンの超越主義に共感しました。
エマーソンはコンコードを超越主義のふるさと、知的文化の中心にしたいと思っていて、ルイザの父も呼び寄せたようです。

超越主義がどんな思想なのかは、追って書きますが、この新しい思想に傾倒したルイザの父エイモス(エイモスもまた哲学者で、教育者でした)を抜きにして、ルイザは語れません。 





写真で見て外観は知っているけれど、実際に目の前にその家が現れると…言葉にできない感動が…。 

ルイザの父エイモスがこの家を購入した時、りんごの果樹園があったことから「オーチャード(果樹園の意味)」という名前がつきました。

17世紀に建てられたというこの家は当時すでに古すぎましたが、エイモスが上手に手を入れて改装したのだそうです。
(→この家は1965年、アメリカの国定歴史建造物として認定されています)

オーチャード・ハウスに住み始めた時、ルイザは26歳。
処女作を出版し、すでに作家として活躍を始めていましたので、この家の自分の部屋で執筆するルイザの写真が残っています。
若草物語』もここで書かれたんですよ~♪♪ 


母屋の後ろのあるこの建物は、1879年に開校した、父エイモスの哲学学校。
超越主義哲学をはじめとする、知的で文化的な議論が行われたそうです。
アメリカにおける成人教育のはしりで、ヨーロッパからも参加する人々がいるほど、人気があったとか。(現在内部の見学はできません) 

ルイザがこの家に住んでいた時期に勃発したのが「南北戦争」(1861~1865年)です。
のちに出版され、大ヒットするルイザの『若草物語』は、南北戦争の頃が舞台です。 
ルイザは看護婦に志願し、ワシントンの病院で南北戦争の負傷者を介護します。
しかし自身が腸チフスにかかり、オーチャード・ハウスに戻ってきたのちも生死をさまよいました。

1863年に出版された『病院のスケッチ』は、この時の体験をもとに書いたものです。 

南北戦争とは、どんな戦争だったのか、私自身がうろ覚えなので、確認してみます。 

アメリカ合衆国の歴史で唯一の内戦である「南北戦争」。
アメリカ国内の南部北部とが分断して戦った大規模な戦争で、死者は62万人にものぼるといわれます。 

原因は、南部と北部での経済状態の違いと、黒人奴隷の解放です。 

イギリスとの結びつきが強かった南部は、イギリスからの輸入量が多かったので、安い関税を求めます。

また、南部では黒人奴隷をつかった綿花栽培のプランテーションも発達し、その綿花がイギリスへ輸出されていました。 

北部は、工業化が進んでいたため、イギリスからの輸入品に高い関税をかけて国内の産業を発展させたい。また、黒人奴隷にも反対でした。
南部の奴隷を解放して労働力を得ようと画策します。 

1860年11月の大統領選挙で、奴隷制に反対するリンカーンが当選。
南部の人びとは危機感を強めました。

翌年には南部の7州が合衆国を脱退し、ジェファソン=デヴィスを大統領とするアメリカ連合国の独立を一方的に宣言(アメリカが北と南で分断)。

月には武力衝突が発生し、南北戦争が始まってしまいます。 

4年にもわたる闘いの末、北部が勝利。

アメリカは再び統一され、リンカーンによる「奴隷解放宣言」がなされますが、黒人への差別や偏見はなくなりませんでした。 

『若草物語』の第一部(四部まである)は、南北戦争が終わってから3年後の、1868年に出版されています。 
戦地へ北部軍の従軍医師として赴いた父が留守の間、母と4人の娘がけんかをしながらもしっかりと家を守る、というお話です。 

ルイザの父も、ルイザ自身も黒人奴隷制反対者でした。
ルイザの父は黒人の生徒を自身の学校に入学させたために出資者を失い、閉校にさせてしまいました。
でも、物語に黒人問題は出てきませんね、少女向けのお話としてあえて避けたのかもしれません。 


お問合せは奥田あてに!

こちらからどうぞ(goole form) 。返信はパソコンのフリーアドレスになります。受信拒否設定されていると返信メールが届かないので、数日たっても返信がない場合はお手数ですが設定を変更されるなど、お客様のほうで対処お願いします。
こちらからメールをしないということはございません。
携帯メールを使って送られてこられた方への私の返信がブロックされる例が多発しています。こちらでは対処のしようがありませんので、ご自身の設定を確認お願いします。
メールアドレスの入力ミス(打ち間違い)も過去ございました。再度フォームから入力をしてみていただくのも一案です。


これまで出版していただいた本がどんどん絶版になっています。原料高で増刷もないとのことです。新品でまだ購入できる本をまとめてあります。サインもいたしますのでご希望の方は ↑ からご連絡くださいね。


**インスタグラムやっています。フォローお願いします(^◇^)気軽な投稿はインスタのほうが頻繁です~*** ***フェイスブックはこちら。***

2019年6月23日日曜日

ニューイングランドツアー日記 その1 ボストン

私が同行解説する『ターシャ・テューダーの庭とニューイングランドの旅7日間』の思い出をつづります。 

一日目 2019年6月11日(火) 
成田空港から、JALのボストン直行便で出発。

機体は最新鋭のためきれいで、座席も通常より少し広いとのこと。
料理もおいしく、日本語も通じるので、みなさん快適に過ごされたようです。

いつも通路側の席を取るのですが、今回はすでにいっぱいで窓側しか空いていませんでした。でもそれおかげで、窓からの景色が撮れました。
ボストン空港にかなり近いところの写真ですが、眼下に見えるのがどのあたりかは、さっぱり(^^; 


18時過ぎに、無事にボストンに到着。約12時間のフライト。
それほど揺れもなく、ほっとしました。 

一番驚いたのは、窓には遮光用のブラインド(プラスチックの覆いを上げ下げするやつ)がついてなくて、どうやって暗くするんだ!?と、戸惑いました(;'∀') 
窓の下のボタンを上下に押していくと、明るくなったり暗くなったりするしくみでした!今はこんなふうになっているんですか!!衝撃。
窓全体が段階的に青みを帯びていき遮光するんですが、完全には暗くならないんです。
完全に暗くならないとぐっすり眠れない私、昔のブラインドでいいのにな…って思ってしまう。
アイマスクをつければいいのだけれど、映画も観たいし、時差ボケの調整に起きているのもいいだろうと思い、ほとんど映画を観てました。 

私にとっては、実は初・アメリカ(笑) 
時差は13時間(ほぼ昼夜逆転ですね)。
入国審査は、審査官によって聞かれる内容も違うようですが、私は目的と何日いるの、だけで終わりました(^^ゞ 

参加者さんが、新品で購入されたというスーツケースのキャスターが一個、壊れてなくなっているという問題が発生。
私も以前、一人旅の帰国時、スーツケースが大きくへこんで壊されたことがあります。新品と交換してもらったけれど、旅の始まりにスーツケースが壊れるのはつらいですよね。 

出口で現地ガイドさんのお迎えを受け、バスに乗り込み、ホテルへと移動。
ボストン空港は、ボストンの中心地からも近いので楽ですが、翌日からの目的地が、ボストン郊外のコンコード、そしてバーモント州なので、そちらへ移動しやすいボストン西部のホテルに宿泊します。

ネイティックNatickというところです。19時過ぎていたのでこの日はこれで解散。 
ホテルのすぐそばには、大きな、ネイティック・ショッピングモールがあります。
明日はこのモールの中で夕食を、と考えており、外もまだ明るかったので、添乗員さんと一緒にどんなところか視察へ行ってみました。
小腹が空いていたので、フードコートでちょこっとメキシカンフードを。
モールは21時で終了なので、ほとんど人はいなかったです。 





カナダのショッピングモールでその巨大さには慣れてはいますが、アメリカも負けず劣らず大きい!!そしてここはきれい!!
モール内に白樺の小道やら、休憩ベンチにはチェスまで用意されている…。 


ここはトイレ。なんとまあゴージャスな…。 
お店もたくさんあるし、明日は夕食を含めてもたくさん時間があるので、ショッピングも楽しめそうです。 

2019年6月20日木曜日

ムーミン展へ行ってきました

2019年6月17日(月)、無事に、私が同行解説する『ターシャ・テューダーの庭とボストンツアー』から帰国しました。
私をはじめ、ご参加者のみなさん、体調も悪くならず、お怪我もされずに元気に帰国されたことにほっとしています。
ご参加くださったみなさま、本当にありがとうございました。 

ツアーの様子はこのあとアップしていきます!

このツアーの出発日(6月11日)、成田での集合時間は16時でした。
せっかく東京まで行くし、集合時間まで時間があるので、と、『ムーミン展』を見に行きました(*^^)v 
会期終了ギリギリ間に合いました。 


 
日本ではアニメになったムーミンが有名で、私も子どもの頃観ていましたが、原作はフィンランドの作家トーベ・ヤンソン(1914~2001)が書いた物語。
国際アンデルセン賞を受賞しています。

アニメよりももっと心にぐいぐい迫る、大人が読んでも考えさせられる内容なんですよね。 ヤンソンの原画が思った以上にたくさんあって、感激しました。

物語のムーミンの絵は、アニメと違い、色もモノクロでタッチもちょっと暗くて怖いんですが、それでもどこかユーモアがあって惹かれてしまうんですよね。 

ヤンソンのデッサンや下書きなども展示してあって、そういうのを見ると、画力があったんだな、としみじみ感じました。黒一色のペン画も、繊細で…。 

フォトスポットは最後にちょこっとありました。 




思ったより見学に時間がかかってしまったので、お昼はムーミン展のコラボカフェで済ませました。 




頼んだのは、スナフキン・フィッシュバーガー。
帽子は抹茶味のトルティーヤになっていて食べられます。
お花も、エディブルフラワー。おいしかったです! 

カフェより、グッズ売り場がめちゃ混みでした。

これからアメリカに行く私(笑)荷物は増やせないので、ポストカードだけ購入しました。 
今年、ムーミンの新訳、新装版が出版されたようです!
ぜひとも読んでみようと思います♪


森アーツセンターからの絶景。曇っていてちょっと残念。

これから成田へ向かいまーす(*^^*)

お問い合わせはこちらからどうぞ(goole form) 。返信はパソコンのフリーアドレスになります。受信拒否設定されていると返信メールが届かないので、数日たっても返信がない場合はお手数ですが設定を変更されるなど、お客様のほうで対処お願いします。

こちらからメールをしないということはございません。
携帯メールを使って送られてこられた方への私の返信がブロックされる例が多発しています。こちらでは対処のしようがありませんので、ご自身の設定を確認お願いします。
メールアドレスの入力ミス(打ち間違い)も過去ございました。再度フォームから入力をしてみていただくのも一案です。


これまで出版していただいた本がどんどん絶版になっています。
原料高で増刷もないとのことです。新品でまだ購入できる本をまとめてあります
サインもいたしますのでご希望の方は ↑ からご連絡くださいね。


**インスタグラムやっています。フォローお願いします(^◇^)気軽な投稿はインスタのほうが頻繁です~*** ***フェイスブックはこちら。***



2019年6月6日木曜日

最近観た映画

GEOのDVDレンタル100円キャンペーンを知り、早速、3作、借りて観ました!



『ファンタスティック・ビースト』シリーズの二作目。
舞台はロンドンからパリへ。
なるほど、なるほど、こういう展開になったのね。 

ダンブルドア校長が若くて…40代という設定らしいですが…ちょっと違和感が(^^; 
ジュード・ロウじゃないほうがよかった気がするのは私だけ!? 

ニュート役の男優さんはいい感じで、好きです♪ 

ホグワーツ校の女生徒の制服、スカートがタータンだったのを、私は見逃しませんでした!!!(笑) 
赤いタータンでした! みんな黒いマントをはおっているので目立ちません、もっと目立たせてくれたらいいのにぃ。
あの当時のホグワーツはタータンが制服だったんですね…。
ハリーの時代はもう違っている…残念~~~(;O;) 

このシリーズはいったいいつまで続くのだろうとググったら、5作で完結するらしいです。そして、それぞれ、違う場所を舞台にするとのこと。それも楽しみですね~。 



実は劇場で見損ないまして、やっと観ることができました。 
クイーンの全盛期は私はまだ小学生だったので、よくわからないというのが正直なところですが、その後、クイーンの曲はあちこちで使われてきているので、曲は知っていました。 

また、フレディがエイズで亡くなったことも知ってはいましたが、フレディが同性愛者だったからエイズになったかのような描かれ方をされていることは残念な点でした。
そう思っていたら、こんな記事がありました。  

映画なので作っている部分もあるようで、実際どうだったのかを知らないと本当の意味でフレディやクイーンを知ったことにはならないのだろうと思います。伝記的な本を読んでみたくなりました。 
ただ、最後のコンサートのシーンはとても感動的でしたね。
英語で一緒に歌えたらよかったなあ。



これはカナダのノヴァ・スコシア州で生まれ育った画家の伝記的映画だということで、借りてきました!!
何の前情報もなく、ジャケットにカナダでロケ、と書いてあったことで興味をひかれたわけですが、この映画、すごく、すごくよかったです。 

『赤毛のアン』を著したルーシー・モード・モンゴメリと同じ”モード”という名前、そして、プリンス・エドワード島のお隣のノヴァ・スコシア州で暮らした、と、親しみを持つ要素はたくさんあるのに、私はこの映画を観るまで、モード・ルイスのことを知りませんでした…(;_:) 

彼女の描く絵はもろに私の好みなのに、また、ノヴァ・スコシアにも何度か行っているのに、気づかなかったか、出会えなかったか…なんですよね。
すごく残念ですが、でもこの映画で知れたことは、とっても嬉しい♪ 

リューマチを患ったことで手足が不自由だったモードが、自由に描く絵で、人々に知られるようになっていく…。
そして、魚の小売業をするエベレットと結婚して、小さな、小さな家で死ぬまで一緒に暮らすという、彼女の幸せ感、「私は多くを望まないから…」というセリフ。

気難しくてモードに厳しく当たることもあるけど、実はモードを愛しているエベレットにも、じーんときました。 

こちらもどこまで真実を描いているのかわからないので、関連書を読んでみたいです。
日本語はなさそうなので英語になるかな(-_-;) 

映画のロケは、ニューファンドランドのセント・ジョン近郊の漁村だそうです。
ニューファンドランドは、プリンス・エドワード島の北にある島です。
島から近いけど、まだ行ったことがなかった~今度行ってみたい! 

ノヴァ・スコシア州のハリファクスにあるアート・ギャラリーには、二人が暮らした本物の家が展示されているとのことなので、ぜひ見に行きたい!!!!です。 




モード・ルイスの絵を使ったスタンプ風画像(映画の公式HPより)

2019年5月31日金曜日

鎌倉小旅行④

鎌倉小旅行




鎌倉小旅行中、ちょこちょこ、甘いものも、口に入れることも忘れませんでしたよ(*^^)v 

鎌倉文学館を見たあと、「コケ―シカ」さんに行ってみると、なんと定休日(;゚Д゚) 
がっかりしましたが、そばの麩まんじゅうのお店で、つめた~い麩まんじゅうをいただいて元気を取り戻しました(笑) 
暑い日だったので、冷たいお菓子は体に染みます。 


 
「風想花」さんを訪ねて小町通りを歩いたので、事前にチェックしていた、豆乳黒ごまソフトもいただきました♪ 
お友だちは金ごまソフト。 


 
江ノ電のホーム売店でお友だちが買った「江ノ電和三盆」。
パッケージも中身もすごくかわいらしかったので、写真を撮って送ってもらいました! 



う~ん、やっぱりかわいい♪♪私も買えばよかったかな(^^; 

今回は鶴ケ岡八幡宮にはまったく行けなかったので、次回のお楽しみにします。
紅屋さんのクルミッ子、買いたかったなあ…。

鎌倉小旅行③

鎌倉小旅行のつづきです。



鎌倉まで足を延ばした3つの目的の3つめは、「石窯ガーデンテラス」でアフタヌーンティーをすること♪

鎌倉駅からバスで「浄明寺」へ。
浄明寺の境内にあるので、拝観料100円を払って中へ入ります。
浄明寺は臨済宗建長寺派の古刹。源頼朝の忠臣で豪勇の士であった足利義兼が、1188年に創建したとのこと。境内は国指定史跡だそうです。 



この茶室で一服するのも気持ちよさそうでしたよ。 


案内に沿って、坂を登っていくと、お寺とは不釣り合いな(^^; 洋館が建っていて、そこが石窯ガーデンテラスです。 



 
お店へのアプローチもまさにイングリッシュ・ガーデンらしくて、入る前からテンションがあがってきます。 
 13時半ごろに行ったのですが、すでに数量限定のアフタヌーンティーは売り切れていました(;_:) 
もっと早く来ないとだめなんですね…。 

ランチの価格帯が私にとっては高額なので、どうしようかと思いましたが、せっかくなのでランチをしました。
実は食べ物よりも、ここのイングリッシュ・ガーデンが目的だったので、庭を堪能したかったんです。
まだ虫がそんなに出てくる時期ではなかったのでテラス席を選びました。 




 
料理が出てくるまで、お庭を散策。バラは咲いているのもあれば、まだのものも。 

この庭を作ったのは、スコットランドのエディンバラ出身(!!そこにはまる私(;^_^A)のガーデンデザイナーニコラス・レナハンさん。

以前テレビで見て、ずっと行きたいと思っていました。
17年かけて、一から創り上げた庭だとのこと。
ニコラスさんは『スコットランド流 手間いらずの庭づくり』(家の光協会)という本を出されています! 

イングリッシュ・ガーデンでありながら、ニコラスさんは日本の植物もいろいろ組み合わせています。
四季のはっきりした日本ならではのイングリッシュ・ガーデンを目指しており、一年中楽しめる庭づくりがポリシーだとか。

日本の美しい植物が大好きなニコラスさん、フウチソウ、アマチャ、ギボウシなどの植物をイングリッシュ・ガーデンに見事に調和させています。 

スコットランドのテレビで見た日本庭園に感銘を受け(テレビではピースフル、ずっと見てられる絵のような庭だと言っていましたよ)、人生が変わったそうです。
25歳で来日し、自分流の庭づくりを始めたそうです。 



 
一番奥にはコケの庭があるようですが、この日は前日の大雨で木が倒れたため、奥への侵入は禁止になっていて残念でした。 


お友だちはクリームティー(スコーンと紅茶のセット)を注文。
このスコーンを一口味見させてもらったら!!今まで食べたスコーンの中でもかなりの高得点!!だったので、テイクアウトしてきましたよ。 



私はパスタランチ。値段が値段ですから(^^;
おいしくなかったら暴れるところですが、暴れずにすみました(笑) 

近くに別の洋館があるのはチェックしていたので、歩いてその「旧華頂宮邸」も見てきました! 



 
旧華頂宮邸は、1929年に華頂博信公爵邸として建てられ、ハーフティンバー(柱・梁・筋違などの骨組みを外にむき出しにし、その間に煉瓦・土・石を充塡して壁とする西洋木造建築の様式)が見て取れます。

内部は年に数回しか公開しないので、入れたのは庭だけでしたが、見れただけでもラッキーでした。 


 
庭園はフランス式庭園。カチッとした、貴族の庭らしい庭です。 

これで時間切れ。バスで鎌倉駅へ戻り、また2時間くらいかけて浜松へ帰りました。
鎌倉小旅行はまだ書きたいことがあるので次に続きます(;´∀`)