SNSでお友だちがあげている本はとても参考になり、それらも忘れないうちに図書館でとりあえず借りる!
期間内に読めない→また借りる の繰り返し。
それでも、自分を追い詰めないといつまでたっても読み終えないので、がんばって毎日少しずつ読み進めています。
それらの本の感想をブログに書けずに終わっていますが、今回は何冊か書いてみますね。
『J・R・R・トールキン:自筆画とともにたどるその生涯と作品』(原書房)
今年の5月に出版されていました。よくぞ出版してくださった!!!ぶ厚い本ですが、図版もたくさんあり、トールキンファンにとっては嬉しすぎて涙が出るほどの資料です。
これは2018年に英国のボドリアン図書館主催で開催された「トールキン展」の図録。
会期中、ちょうど私は英国ファンタジーツアーでオックスフォードを訪れていました。この展覧会が開催されているのを知り、短い自由時間に観ることができたのです!
その時の日記はこちら。
2018年の英国ファンタジーツアーの日記はこちらから。その1~20まであります、長いです(^-^;
コロナ禍で私のツアーは現在休止のままですが、来年以降、再開したいですね。
上の写真の、下に写っている本が、私が買ったトールキンの英語の解説本。今回出版された原書房の本の原書はとても厚くて重かったので(笑) コンパクトなこの本を買ってきたのでした。
右側に写っているポストカードセットもお土産に購入。部屋に大事に飾ってあります。
原書房の本のタイトルに”自筆画とともに”とあるのは、トールキンが自ら絵を描くことができたことがあげられます。
私が購入したポストカードセットの絵もすべてトールキンのもの。
自分が生み出した物語のイメージ画を、自分の手である程度のところまで描くことができるというのはすばらしい才能です。
トールキンはプロではないけれども、とても上手!! なので、出版社も彼のイメージ画を採用したのです。
拙書『図説英国ファンタジーの世界』(河出書房新社)でも、トールキンについて書かせていただいておりますが、まったく誌面が足りなかったのでとても心残りでした。
ぜひ、原書房の本でトールキンについて深めてくださいね!!!
そして、朝井まかてさんの本2冊。
朝井まかてさんを知ったのは『先生のお庭番』が最初でした。シーボルト事件を扱った小説ですが、園丁修行中の一人の少年の目を通して描かれているのがポイント。
シーボルトはドイツ人の医師ですが、博物学者でもあり、日本の植物を大量に採集。本国へ帰国後、「Flora Japonica(『日本植物誌』)」を完成させます。
日本の本草学者とも交流があり、シーボルトが彼らに贈った植物学の本が日本語に翻訳出版され、それらをむさぼるように読み、学んだのが朝ドラ「らんまん」のモデル・牧野富太郎でした。
その牧野富太郎を描いた評伝小説『ボタニカ』(祥伝社)も、今年、朝ドラの影響で大変話題になりましたね。私も読みました。
ドラマではとても謙虚でやさしい人物に描かれていますが、実際は自己顕示欲が強く、研究のためにはイケイケだった富太郎(^-^;
そのあたりが小説からよく伝わってきて、実際の富太郎の人物像に近い気がしています。
祥伝社のHPには『ボタニカ』特設サイトがもうけられており、ここから朝井まかてさんのトークショーの内容やインタビュー記事などを知ることができるので、ぜひ見て見てください♪
私もトークショーをいくつか拝聴しました。富太郎のことを”富さん”と呼ぶまかてさんの富太郎愛が伝わってきてほのぼのします(*^^*)
そして、まかてさんの『グッドバイ』(朝日新聞出版)も。
浜松の図書館、バーコードをこうやって表紙に貼っていることが多いんですよ!!!!!!苦情言ったんですけど、外部に委託しているらしく、そこがこういうことを平気でする!!!表紙には貼るなというお達しを出せば済む話なのに、なぜしないのでしょう???
本に対して失礼ですよね。
しかも、この表紙にはすばらしい茶畑が描かれているのにそれをだめにしてしまって・・・(;O;)
この『グッドバイ』、お茶好きさんにはよく知られている女性の評伝小説。幕末から明治にかけて活躍した長崎の女貿易商・大浦慶です。
19歳で老舗の油屋・大浦屋を祖父から受け継ぐものの、油屋の商いは先細り。異国との貿易をしたいと望むものの、女のくせに、と周囲から相手にされない。
それでも諦めず、ようやく茶の受注を受けるが、なんと、千斤の茶葉をたった6日で集めるという難題。
必死にかき集めて、日本人で初めて商業として茶の輸出に成功した女性となるのです。
小説の中では、静岡(当時の駿河)のお茶についての言及もありました。
茶貿易が軌道にのり、貿易港が長崎から横浜へと移っていた時、慶は横浜に支店を出そうとします。
準備のため派遣した番頭が横浜で急逝し、支店の話は立切れになるのですが、その番頭がアメリカの紹介で駿河産の茶葉の荷を見て、味見をしたことが書いてあります。
このごろ、アメリカでの人気は駿河産だと耳にした、駿河から横浜までは長崎よりも近いので長崎から運ぶ手間賃を考えれば値段で太刀打ちは難しいのではないか、だが番頭さんが懸念していたのは別のことではないか、それは駿河と長崎とでは茶葉の作り方が違う。長崎は釜でゆでるが、駿河、それから宇治も蒸して揉む、と。
慶は駿河産がよく売れるのであれば、長崎でも蒸して揉む製法を茶を作ることも考えるが、同じようにして同じ品質のお茶ができるのか、製法転換の苦労を考え、手を出しませんでした。
1879年、慶は払下げ蒸気船を使った輸送経営の共同出資をもちかけられます。
その席で女中が紅茶と西洋菓子を運んできます。珈琲のほうがよいかと尋ねる慶に、相手は紅茶をいただく、と答え、紅茶も大浦屋さんが扱っているのか、と問います。
慶は「いいえ。日本の気候では栽培がなかなか難しかですよ。英吉利人からの到来物ですたい」と答えています。
ここが!引っかかってしまいました。
日本の気候では栽培が難しい、と言っているということは、紅茶の木があると思っている、と解釈できますよね。
明治政府は外国にお茶を売って外貨を稼ごうと画策し、外国人の嗜好が緑茶よりも紅茶にあると知って、紅茶製造を全国の茶農家に呼びかけるのですが、それが1874年です。
翌年には中国人の製茶師をともなって九州へ行き、関心のある農家へ指導を行っています。
共同出資をもちかけられた年が1879年ですから、紅茶作りに政府が力を注いでいることは茶農家から聞いて知っていたと思うのですが・・・。
慶は緑茶の商いをしていて、慶が取引のある茶農家は九州ですから、紅茶の指導者が来ていたでしょう。来ていなくても、紅茶を作れと政府が言っているがどうなんだろうと、相談を持ち掛けられていたはずです。
外国人商人との交流も頻繁だったのですから、紅茶の木はなく、緑茶と同じ茶の木の葉から紅茶も作られるということは当然わかっていたのでは、と思うので、この部分はどうしてこう書いたのか、疑問が残りました。この頃、後継者に任せていたから紅茶にはうとかったとも取れますが・・・。
この場面に、政府の国産紅茶作りの話を盛り込んだら、茶葉商いをする慶の物語だけに、もっと深みが出たのでは、とも思いました。
とてもいい小説だけに、この部分が残念でした。
大浦慶は享年57で亡くなったのですねぇ・・・。私と同じ歳ですよ( ̄▽ ̄;)
幕末から明治という激動の時代を、女のくせにとかたくさん言われても負けずにその才覚を商売に活かして駆け抜けた。
歴史に名を残す志士たちとも交流し、オルトやグラバーといったこれまた歴史に名を残す商人にも信用されて・・・。
最後は騙されて家を傾かせてしまいますが、それでも立派に生きました、あっぱれです。
今よりもっともっと、女性の地位が低かった時代に、歯をくいしばって努力して成功した女性たちの姿には勇気づけられます。私もがんばろう!!
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