コロナ禍ではありますが、岡山で働き始めた息子と、お世話になっているお友だちに会うために、7月、行ってきました。
お友だちとは会う約束をずっと前からしていたのですが、コロナのためにのびのびになっていたのです。
せっかくなら、倉敷の美観地区を久しぶりに散策したいな、と思い、美観地区のそばのホテルに一泊しました。(息子の部屋は汚部屋ですから泊まれません……(;^_^A 息子の仕事に支障があるといけないし)
岡山や倉敷の食材を使ったという、煮干しラーメン。
コロナのため、お店の中では余計な会話は禁止、食べる時以外はマスク着用です。
人気店らしく、お客さんがたくさんいましたが、みなさん、しーんとして黙々とラーメンや餃子をいただいてました。
寂しいけど、でもみなさんがマナーを守っていると安心感あります。
明日も仕事があるというし、美観地区周辺のお店はもう終わっているし、私はお酒は飲まないし、おなかもいっぱいなので、お店を出たあとは、美観地区を二人でブラブラと散策しました。
7~8年前でしたか、山口に向かう途中、家族で一泊したアイビースクエアにも立ち寄りました。全然変わってないです。
美観地区の写真には必ず登場する、中橋のあたり。さすがに夜は誰もいません。
上の写真の洋館風の木造の建物は、1917(大正6)年に倉敷町役場として建てられたもの。現在は観光案内所になっています。
美観地区名物の、川舟流し。明日の出番を待ってお休み中。
こうして、静まり返った町並みの中にいると、江戸時代にタイムトリップした気分になりますね。
美観地区に来たのは、これで三度目です。
初めて訪れたのは、30年以上前((+_+))
おそろしく長い時間がたちました…。
当時勤めていた編集プロダクションで、女性誌『SAY』(青春出版社)という雑誌の、旅ページを受けていて、私たち編集者が順番で取材旅行に行かせてもらっていました(時はバブル時代!海外にも行かせてもらったんでした(≧▽≦))。
自分が関わった作品はしっかりファイリングしてありました(納戸を探したら出てきた)。
まだぺーぺーだった私は、泊りがけで取材に行かせてもらうという大役をいただいて、ものすごく緊張して、力が入っていました。
やる気満々でした(^^ゞ
必死で、がんばって書いた記事を今、読み返してみましたら、あら、すごくいいじゃない!??
手前みそながら、よく書けています。
そのまま、今の旅雑誌に載せても通用するくらい、しっかり書いてありました。
ふむふむ…すごく勉強になりました(笑)
がんばったね、当時の私!!!
もちろん、書いた私の名前は明記されていませんが、カメラマンの名前はありました。
「柿沼隆」さん。
一緒に歩いて、取材をしていただいたはずなのですが、記憶がまったくなく…(なんて恩知らずな…。きっと、たくさんお世話になって、いろいろ教わったでしょうに…。ただでさえ、物忘れのひどい私なので、たくさん恩知らずをしているはず…(;_:))。
検索してみましたら、柿沼カメラマンは、現役最高齢のカメラマンとして映像が残っていました。お顔を見たら、ああ、この方と一緒にお仕事させていただいた…という記憶がぼんやりとよみがえってきました。
おだやかで、優しい方だったと。
残念なことに、2013年にご病気でお亡くなりになられていたことを知り、ものすごくショックでした。
逆算したら、柿沼さんはこの倉敷取材時、今の私とほとんど同じ年齢だったのです。
確実に、時は流れ、決してとまることはないんですね。
思い出だけが残る。
あまたある仕事の、そのひとつをご一緒できたことには、きっと意味があると思います。そのことに感謝します。
柿沼さん、ありがとうございました。
いつものごとく、旅日記は続きます(^^;