そして、タータン展での講演後にも、宮沢賢治ゆかりの場所へ急ぎました。
盛岡市内にある「光原社」です。
賢治の初めての童話集『イーハトーヴ童話 注文の多い料理店』の出版社。
賢治の学友だった及川四郎は、原稿も読まずに出版を決めたといいます。
光原社という名前は賢治がつけた名前だそうです。
1924年(大正13年)に出したこの本はまったく売れなかったそうです。
そのため、新たな事業展開をしなくてはいけないということで、南部鉄器の製造と販売を始め、現在の全国各地の民藝品を扱うお店の流れができていったのだとか。
お店があるのは、材木町通り。
こちらに移転してきたのは昭和12年だそうです。
この頃から、民藝運動の提唱者・柳宗悦との交流が始まり、陶芸家の浜田庄司、河井寛次郎、染色家の芹沢銈介らが東北を訪れる際の、サロンともなっていたそうです。
柳が興した民藝運動は全国に広がり、岩手にもその先人がいます。
ホームスパンの父といわれる及川全三はそのひとり。
光原社の社長さんも及川さんですが、親せき関係ではないようです(^^;
及川全三は、岩手がなぜホームスパンの里として発展していったのかの鍵を握っている人物。
タータンは羊毛から作られますが、機械化される前は家庭で羊毛を紡ぎ、染色し、タータンが織られていたのです。
日本で羊が飼育され、羊毛が紡がれ、ホームスパンが始まるのは明治になってからですが、他地域では衰退したホームスパンが岩手では現在も受け継がれているのは、及川全三の力によるところが大きいと、『岩手のホームスパン』という本で学びました。
ご縁をいただき、この本を出された「まちの編集室」の方とお食事をする機会があり、とても刺激を受けました。地元の情報誌「てくり」も出されています。
てくりさんがプロデュースするギャラリー兼クラフトショップ「shop+spaceひめくり」で待ち合わせです♪ 北上川沿いにあるとっても素敵な建物。
岩手の民藝運動にも通じるものが、このお店にもたくさん揃っています。
てくりのバックナンバーも、光原社のことをまとめた『光原社 北の美意識』の本もこちらのお店に揃っています。私も早速、購入しました。
さて、光原社に話を戻します(^^ゞ
材木町通りは別名イーハトーヴアベニューと呼ばれているのだそうです!
賢治の銅像や、ゆかりのモニュメントが点在しています。
民藝を扱うお店だけ見て帰ってはいけません(笑)
奥に広い敷地内には、賢治の資料を展示する建物や、コーヒーが飲めるカフェ(文字は芹沢銈介の作)、雑貨屋さんなどが続いています。
そして、盛岡のお土産は…。南部鉄器の鉄瓶の置物にするか、銀河鉄道の置物にするか悩んだ末、銀河鉄道の置物にしました(≧▽≦)
どっちも買えばよかったかな~。
今度行ったら鉄瓶の置物にしよう。