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ビーコン・ヒルを散策します。
ビーコンとは「(丘・塔の上などで燃やす信号用の)かがり火,のろし」という意味で、ヒル(丘)という名がついているように、ゆるやかな坂の多い地域です。
当時から現在まで、お金持ちが住む高級住宅地であることは変わりません。
車が一台通るのもやっと、という狭い路地も。昔はここを馬車が走っていたのです。
お金持ちが住んでいる地域ですから、花の手入れを外注する人も多いとか。
『若草物語』の作者、ルイザ・メイ・オルコットが住んでいた家がいくつかあるからです。ルイザは、昨日訪ねたコンコードで暮らした年月より、ボストンで暮らした年月のほうが長いのです。
オルコット一家は、ルイザが2~8歳になるまでボストンに住み、そのあと一家はコンコードへ引っ越ししました。
16歳の時に再びボストンへ戻り、ピンクニー通り20番地で暮らし始めます。
上記写真の、街灯があるところが20番地。表示があるのですぐにわかります。
ルイザの部屋は3階にありました。
ここには1852~1855年まで暮らしました。
父の理想教育・哲学がうまく進まず、一家は貧乏でした。
母は働きに出て、下宿人を置き、ルイザは姉とともに縫物や家政婦、家庭教師などの仕事をしてお金を稼いで一家を支えました。
忙しい合間に時間を見つけて執筆を続け、詩や小説を雑誌に投稿していました。
ルイザの詩が初めて掲載され、原稿料をもらったのは19歳の時。
20歳の時には、姉と一緒にここで学校を開きました。
そして22歳の時、ついに 処女作『花のおとぎ話』が出版されます。
この家は、ルイザが作家として成功の道を歩み始めた場所ともいえます。
オルコット一家も、ルイザも、何度となく引っ越しを繰り返しているので、それをすべて辿るのは大変です。区画整理で番地が変わっていることもあるのよ、と、オルコットを研究している私の友人は苦労していました。
ルイザは家族を大事にし、家を支えるために本を書くことを喜びとしていました。
しかし、いくら家族を愛していても、ずっと一緒にいたら息が詰まってしまうこともあったはず。
ルイザがコンコードに定住せず、ボストンにしょっちゅう暮らしたのも、息抜きや、刺激をもらう意味もあったと思われます。
都会のボストンで、奴隷制廃止や、女性の権利についての運動に関する催しに参加したり、文化的な楽しみを謳歌し、次の作品にも生かしたでしょう。
愛読書だった『アンクル・トムの小屋』のストウ夫人のように、自分も小説を書きたいと夢見ていた少女は、人気作家になったのです。
結婚の話もあったのに、ルイザは結局、独身を通しました。
そして、晩年、ビーコン・ヒルの中でも特に値段が高く最上流が住んでいるエリア、ルイスバーグ・スクエアに、老齢になった父の介護のための家を、1885年に借ります。
それが10番地のこの家。
ルイザは父をコンコードから引き取りました。
作家としてのルイザの成功は家族を経済的な苦労から救いましたが、一方で健康を害し、この家を買ったあたりは、さまざまな治療法を試すもよくならず、療養所に入っていたようで、ルイザが住んだといえる時期は本当に短かったでしょう。
ルイザは自分の死期が近いことを悟り、お金を姉や甥達に贈っており、遺書も作っていました。
そんな中で、『第四若草物語』を必死に書き上げたのです。
これがルイザの最後の作品となりました。
1888年3月1日、ルイザは療養所から、ルイスバーグ・スクエアの父を見舞いに訪れました。これが最後だということは、二人ともわかっていたようです。
「天にのぼるのだよ。おまえもすぐにおいで」と父。「ああ、それができたら」とルイザ。
ルイザはそのあと毛皮をはおらずに街へ出て、夕方になって熱を出し肺炎をおこしてしまいます。
ルイザは意識を失い、そのまま3月6日、あの世へと旅立ちました。
父は二日前の3月3日に亡くなっていましたが、そのことを知らないまま、ルイザも天に召されたのです。
おまえもすぐにおいで、という父の言葉に、ルイザは導かれたのでしょうか。
ルイザと父は同じ誕生日でした。そして二日違いでこの世を去っています。
ルイザと父は、何か強い絆で結ばれていたのかもしれませんね。
(実は私も、父と同じ誕生日なんです。でも父は二年前に他界したので、ルイザと同じではありませんが、共通点があることで親近感が)
ルイザはこのルイスバーグ・スクエア10番地で亡くなった、と書いてあるサイトもあるのですが、療養所に運ばれてそこで亡くなった、とも考えられます。
いずれにせよ、ルイザは55歳という若さで亡くなりました。
書きたいこと、やりたいこと、たくさんあったことでしょう。
私もルイザが亡くなった年齢に近づいてきました。
今年は大きな病気も経験し、さまざまなことをいやがおうにも考え、見直し、生きています。
ルイザの人生がぐっと胸に響きました。悔いのない生き方をしていかなければ、と改めて思います。
旅行記はつづく